論《しよろん》は一|理窟《りくつ》あるが實際的《じつさいてき》でない。汝《なんぢ》は歐文《おうぶん》に年紀《ねんき》を記《しる》すとき西暦《せいれき》を用《もち》ゐて神武紀元《しんむきげん》を用《もち》ゐないのは何故《なにゆえ》か、いはゆる自家撞着《じかどうちやく》ではないかと。
わが輩《はい》はこれについて一|言《げん》辯《べん》じて置《お》きたい。年紀《ねんき》は時間《じかん》を測《はか》る基準《きじゆん》の問題《もんだい》である。これは國號《こくがう》、姓名《せいめい》などの固有名《こゆうめい》の問題《もんだい》とは全然《ぜん/″\》意味《いみ》が違《ちが》ふ。
歐文《おうぶん》で日本歴史《にほんれきし》を書《か》くとき、便宜上《べんぎじやう》日本年紀《にほんねんき》と共《とも》に西歴《せいれき》を[#「西歴《せいれき》を」はママ]註《ちう》して彼我《ひが》對照《たいせう》の便《べん》に資《し》するは最適當《さいてきたう》な方法《はうはふ》であり、歐文《おうぶん》で歐洲歴史《おうしうれきし》を書《か》くとき、西歴《せいれき》に[#「西歴《せいれき》に」はママ]從《したが》ふは勿論《もちろん》である。
要《えう》するに世間《せけん》は未《いま》だ固有名《こゆうめい》なるものゝ意味《いみ》を了解《れうかい》してをらぬのであらう。固有名《こゆうめい》を普通名《ふつうめい》と同《どう》一|程度《ていど》に見《み》てゐるのであらう。
普通名《ふつうめい》は至《いた》る所《ところ》で稱呼《せうこ》を異《こと》にするが、固有名《こゆうめい》は絶對性《ぜつたいせい》のものであり、一あつて二なきものである。
即《すなは》ち日本人《にほんじん》の姓名《せいめい》は唯《い》一|不《ふ》二である。姓《せい》と名《めい》と連續《れんぞく》して一つの固有名《こゆうめい》を形《かたち》づくる。
外人《ぐわいじん》がこれを如何《いか》に取扱《とりあつか》はうとも、それは外人《ぐわいじん》の勝手《かつて》である。たゞ吾人《ごじん》は斷《だん》じて外人《ぐわいじん》の取扱《とりあつか》ひに模倣《もほう》し、姓《せい》と名《めい》とを切《き》り離《はな》しこれを逆列《ぎやくれつ》してはならぬ。
それは丁度《ちやうど》日本《にほん》の國號《こくがう》を外人《ぐわいじん》が何《なん》と呼
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