でも體質《たいしつ》職業等《しよくげふとう》に從《したがつ》て選擇《せんたく》が違《ちが》ふ。その上《うへ》個人《こじん》には特殊《とくしゆ》の性癖《せいへき》があつて、所謂《いはゆる》好《す》き嫌《きら》ひがあり、甲《かふ》の好《この》む處《ところ》は乙《おつ》が嫌《きら》ふ處《ところ》であり、所謂《いはゆる》蓼《たで》喰《く》ふ蟲《むし》も好《す》き好《ず》きである。その上《うへ》個人《こじん》の經濟状態《けいざいじやうたい》に由《よつ》て是非《ぜひ》なく粗惡《そあく》な食《しよく》で我慢《がまん》せねばならぬ人《ひと》もあり、是非《ぜひ》なく過量《くわりやう》の美味《びみ》を食《く》はねばならぬ人《ひと》もある。畢竟《ひつきやう》十|人《にん》十|色《いろ》で、決《けつ》して一|律《りつ》には行《ゆ》かぬもので食《しよく》の本義《ほんぎ》とか理想《りそう》とかを説《と》いて見《み》た處《ところ》で實際問題《じつさいもんだい》としては餘《あま》り役《やく》に立《た》たぬ。夫《そ》れよりは「精々《せい/″\》うまい物《もの》を適度《てきど》に食《く》へ」と云《い》ふのが最《もつと》も簡單《かんたん》で要領《えうれう》を得《え》た標語《へうご》である。建築《けんちく》殊《こと》に住家《ぢうか》でも、正《まさ》にこの通《とほ》りで、「精々《せい/″\》善美《ぜんび》なる建築《けんちく》を造《つく》れ」と云《い》ふのが最後《さいご》の結論《けつろん》である。然《しか》らば善美《ぜんび》とは何《なん》であるかと反問《はんもん》するであらう。夫《それ》は食《しよく》に關《くわん》して述《の》べた所《ところ》と同工異曲《どうこうゐきよく》で、建築《けんちく》に當《あ》てはめて云《い》へば、善《ぜん》とは科學的條件《くわがくてきでうけん》の具足《ぐそく》で美《び》とは藝術的條件《げいじゆつてきでうけん》の具足《ぐそく》である。さて、夫《そ》れが實際問題《じつさいもんだい》になると、土地《とち》の状態《じやうたい》風土《ふうど》の關係《くわんけい》、住者《ぢうしや》の身分《みぶん》、境遇《きやうぐう》、趣味《しゆみ》、性癖《せいへき》、資産《しさん》、家族《かぞく》、職業《しよくげふ》その他《た》種々雜多《しゆ/″\ざつた》の素因《そいん》が混亂《こんらん》して互《たがひ》に相《あい》交渉《かうせう》するので、到底《たうてい》單純《たんじゆん》な理屈《りくつ》一|遍《ぺん》で律《りつ》することが出來《でき》ない。善《ぜん》と知《し》りつゝも夫《それ》を行《おこな》ふことが出來《でき》ない、美《び》を欲《ほつ》しても夫《それ》を現《あら》はすことが出來《でき》ない、已《やむ》を[#「已《やむ》を」は底本では「己《やむ》を」]得《え》ず缺點《けつてん》だらけの家《いへ》を造《つく》つて、その中《なか》に不愉快《ふゆくわい》を忍《しの》んで生活《せいくわつ》して居《ゐ》るのが大多數《だいたすう》であらうと思《おも》ふ。
 建築《けんちく》の本義《ほんぎ》は「善美[#「善美」に白丸傍点]」にあると云《い》ふのは、我輩《わがはい》の現今《げんこん》の考《かんが》へである。併《しか》し或《あ》る人《ひと》は建築《けんちく》の本義《ほんぎ》は「安價で丈夫[#「安價で丈夫」に白丸傍点]」にあると云《い》ふかも知《し》れぬ、又《また》他《た》の人《ひと》は建築《けんちく》の本義《ほんぎ》は「美[#「美」に白丸傍点]」であると云《い》ふかも知《し》れぬ。又《また》他《た》の人《ひと》は建築《けんちく》の本義《ほんぎ》は「實[#「實」に白丸傍点]」であると云《い》ふかも知《し》れぬ。孰《いづ》れが正《せい》で孰《いづ》れが邪《じや》であるかは容易《ようい》に分《わか》らない。人《ひと》の心理状態《しんりじやうたい》は個々《こゝ》に異《こと》なる、その心理《しんり》は境遇《きやうぐう》に從《したが》て[#「從《したが》て」はママ]移動《いどう》すべき性質《せいしつ》を有《もつ》て居《ゐ》る。自分《じぶん》の一|時《じ》の心理《しんり》を標準《へうじゆん》とし、之《これ》を正《たゞ》しいものと獨斷《どくだん》して、他《た》の一|時《じ》の心理《しんり》を否認《ひにん》することは兎角《とかく》誤妄《ごもう》に陷《おちい》るの虞《おそ》れがある。これは大《おほい》に考慮《かうりよ》しなければならぬ事《こと》である。
 莫遮《それはさうと》現今《げんこん》建築《けんちく》の本義《ほんぎ》とか理想《りさう》とかに就《つい》て種々《しゆ/″\》なる異論《ゐろん》のあることは洵《まこと》に結構《けつこう》なことである。建築界《けんちくかい》には絶《た》へず何等《なんら》かの學術
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