印度の情況も西方へ知れて居つた、夫れから後になりますと、ストラボといふ人が―是れは紀元後一世紀の人であるが―此人の書いたものに、百二十艘許りの船が紅海からして印度の港へ往復して居つたのを見たといふ事がある、さうすると一世紀頃には百二十艘許りの船が、舳艫相啣んで彼處此處に航海をして居つたものと思はれる、是れに由つて見れば印度の思想が極古代からだん/\西の方へ傳はつて來たのも、敢て怪しむべき事はない、尚申上げたい事は澤山ありますが、餘り長くなりますから今回はこれでお仕舞と致します(拍手)。



底本:「叡山講演集」大阪朝日新聞社
   1907(明治40)年11月10日初版発行
初出:「叡山講演集」大阪朝日新聞社
   1907(明治40)年11月10日初版発行
※底本では本文は「(上)」と「(下)」に分けられ、「(上)」の題名の下に「八月三日講演」、「(下)」の題名の下に「八月四日講演」の表記があります。
※題名の次行に「[#ここから割り注]京都文科大學教授[#改行]文學博士[#ここで割り注終わり] 松本文三郎君」と著者名が表記されています。
※変体仮名と仮名の合字は、通常の仮名に書き
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