大王は大に印度の學術に注意して居つたことが判る、一體歴山王が印度へ遠征を試みたといふもの、は既に其の以前に於て多少印度の状態が知れて居つたからであらう、最も詳しいことは波斯で聽いたとあるが、多少の智識は持つて居つたに違ひない、所で歴山王に附いて居つたアリストテレースと云ふ人は、論理學を初めて書いた學者である、希臘には是れまで論理學といふ學問は無かつた、而してアリストテレースが論理學を初めて作つたにしては中々精しいものである、そこで此の論理學も矢張り印度から得て來たものでなからうかといふ説もある位である、けれども是れには別に歴史上の根據はありませぬが、兎に角歴山大王が印度遠征をしましてから、印度の智識は愈希臘の方へ傳はり、是迄よりも一層多くなつたといふことは疑ひないことである。
[#幾何学の問題の図(fig46297_02.png)入る]
アリストテレースの後西洋の哲學史上には新プラトーン學派と云ふものがある、是れは耶蘇教の神學に對して大變大切なものであるが、詳しいことは話が餘り六ヶしなるから略しますが、此新プラトーン學派なるものも、段々其の思想の由來を尋ねると、印度思想を繼承して居るものであるといふことが判つて來た、此の新プラトーン學派では、矢張り肉體を牢屋に比較して心を光明若しくは鏡に例へて居り、肉體を離れてしまはなければ到底解脱は出來ないといふことを唱へて居るのである、のみならず此の學派に於ては行をやつて居る、行といふのは坐り込んで沈思默考することである、吾々の眼や耳や其の他外感より入り來る智識を捨て去つて、感覺的世界を離れ世の眞理を考へ悟るには、唯沈思默考するより外に方法はないと説いて居る、是れが丁度印度の行といふものと同じことである、是等の説も印度から段々傳はつて來たものであらうと考へられる、尚紀元後二三世紀頃に顯はれた耶蘇教のグノスチチスムスといふ説に於ても是れと同じである、若し然うであるとすれば、耶蘇教の神學なるものも、間接に印度の思想が這入つて居るものであると言ふことが出來る、斯ういふ例は尚澤山あるのでありますが、餘り長くなるからモー一つ最近に於てのお話を一言して置きませう、諸君もお聞きになつたことでありませうが、近代獨逸に於て有名なる厭世的哲學者シヨペンハワーと云ふ人は、現世を以て苦痛と觀じ、何うかして此の苦痛の世の中を脱却しなければ到底解脱は出來な
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