ある、例へばサンスクリツトのアカは水の事、羅甸語でもアカ、英語でも水族館の事をアカクアリユム、水成岩をアクエアス、ロツクと云ふ、其のやうな事は澤山ある、文典の上にも非常な似寄がある、斯樣なことは實に不思議のやうでありますけれども、其の謂はれを質して見れば、何でもない當然のことである、夫からしてピタゴラスは五元素説を唱へた、佛教でも地水火風空を五大と言ふ、大とはエレメント、元素の事です、希臘でも地水火風を四大と説いて居つたが、地水火風空の五元素とは言はない、支那の五行の木火土金水といふのも稍似寄つては居るが、是れは印度と全然無關係である、兎に角希臘では地水火風を以て四の元素であると看做して來たが、ピタゴラスに至つて初めて地水火風空の五大といふことを説き出した、此の五大の思想は、印度に於ては古くから行はれて居り、決して珍しいことではない、五大が解散するといへば人間の死ぬるといふことを意味する、で此の説も亦ピタゴラスの印度と同じ所である、夫からモー一ツお話して置かなければならぬのは、ピタゴラス團體といふものは、精神を修養する目的の爲に音樂を用ひたのである、氏以前希臘には音樂と云ふものはない、ピタゴラス時代に於て、初めて音樂が始まつて來た、所が音樂も印度には、神前で歌を讀み、詩を誦する時に之を併せ用ひ、非常な古くから開けたもので、西洋の音樂の譜のド、レ、ミ、フ、ハ、ソ、ラ、セ、ドと云ふのも印度が元で、印度から歐羅巴に傳はつたのである、だから單純ながらも音樂の基礎は印度に始まつたと言つても宜しい、であるからピタゴラスが果して音樂を以て其精神を柔らげ、修養の助にしたとすれば、其の思想若くは技術は、矢張印度から得て來たものに相違ないと考へる、一般の人はピタゴラスが音樂を始めたと云うて居るが、是れは間違であらう、此等を綜合して考へるとピタゴラスの思想の中には印度から得來つたものが澤山あるやうである、而して古くから印度の思想慣習が、希臘に來て居つたものであるといふことは疑ひを容れぬ、尚ピタゴラスは前にいつた通り社會上に大なる勢力を持つて居つたものであるから、從つて希臘の人心に印度の思想が間接的大なる感化を與へたといふことも明らかである、夫れから下つてアリストテレースに就て御話致しませう、アリストテレースは、紀元前二百年代の人で、今からは大凡二千一百年代の人であります、此は有名なる希臘
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