ことを説き、人類は其の業の善惡により、上は天界より下は植物界に至る迄輪廻轉生するといふことを唱へたのであります、がピタゴラスも亦此輪廻の説を説いて居る、希臘には未だ曾てなかつた説で、此人が初めて唱へたのである、從來の史家もピタゴラス輪廻の説の何處から起つて來たものであるかといふ事を考へては居つたが、果して何處から得來つたといふ確な事は判らなかつた、有名なる史家のヘロトタスは是を以て埃及から得て來たものであらうと考へて居つた、所が埃及には輪廻の説は少しもなかつたのである、御存知の通り埃及にはミイラといふものがある、人が死ぬと其體をそつくり殘して置く、といふのは我々人間が死ぬと魂は一時何處かへ行くが又元の肉體へ歸つて來るといふ信仰から其の肉體は其の儘殘して置かなければならぬと考へ、ミイラ漬にして取つて置くのである、是に依つて見ても埃及には輪廻説のあらう筈がない、所が印度に於ては輪廻説は釋尊以前盛に説かれてある、善事を行へば善報があり、惡事をすれば惡果があるといふことは印度人の動かすべからざる信仰である、それから尚ピタゴラスは肉體を牢屋に比較して精神、魂といふものはこの牢屋に這入つて居る故に絶えず苦患を受ける、實に肉體といふものは惡いものであると考へて居つた、肉體を牢屋に比するといふ事も印度には釋迦以前からある所の思想である、而して人はどうかして精神をこの牢屋の肉體から救ひ出さなければならぬと考へ、此に樣々の解脱の方法が案出されたのであります、この輪廻の説や牢屋の説を考へるとピタゴラスの説はどうしても印度から得來つたものではなからうかといふ疑ひが起らざるを得ない、尚又印度人は肉食を禁じて居る、極古い時代には肉食もしたものでありますけれども、段々後になりますと肉を食ふのは惡いといふ考へで蔬食のみを取つた、是れは佛教ばかりでなく他の印度人も總て蔬食をやつて居る、無論酒を飮むことも惡いのでありまして、佛教の五戒の中にも又バラモン教の五戒の中にも之を禁じてある、併しながらピタゴラスの是を禁じたのは偶然の暗合であるとしても、蠶豆を喰べないといふことは實に不思議といはなければならぬ、印度に於ては極古い時から蠶豆は不淨のものとしてあつて、食ふべからざるものといふ思想が行はれて居つた、で紀元前數百年以前に出來たバラモンの書物の中にも蠶豆は不淨のものであるから食つてはならぬ、又是を神に供へ
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