の足を擧げて鐵鉢を蹴放したからたまらぬ、米は四邊に散らばつて最早や拾ふことも出來なくなつたと云ふ、これが其の話の大要である、前の牛乳女の話と唯其の肉を異にするのみで骨は全然同じである、斯う云ふ工合に段々と變つて往つたのである、尤も一例を擧げるとパンチヤダントラと云ふ五卷の書物に山犬の話がある、或る貪慾な山犬が一日山を驅けて居る時に、偶と獵人が死んで居るのを見附けた、而して獵人の傍には弓もある、山犬は宜い獲物があると考へ直に獵人を食はうとしたが、併し獵人は旨さうだから後の樂として、先づアノ弓から食つてやらうと斯う考へて其弓弦を食始めた、すると弓弦がパツと切れた、切れた拍子に弓が山犬の眉間に當つて山犬は死んでしまつた、と斯ういふ話がある、所がラフオンテーンにも是れと殆ど同じことが書いてある、が唯山犬は狼となり、弓に觸れた時矢が當つて死んだと變つて居るのみである、然う云ふやうに地方々々に適するやうに次第に變つて來たものである、是等が即ち文學上の物語の話で、近世歐羅巴に於て最も多く人の愛讀する物語の多くは印度の材料からして變化し來つたものであることを證據立てる、又佛の傳記は印度に於ては中々勢力があつたもので、紀元後四五世紀以後には益其の想像を逞くし、其の文章を修飾した、その傳記が口から口へと傳はつて亞拉比亞からシリアへ入り此にヨザフアート物語なるものとなつた、此は耶蘇教では一時バイブルに次ぐ大變大切なものとなつて歐羅巴人の愛讀する所であつた、是れも佛教文學が歐羅巴に至つて耶蘇教文學と成つて、人心に大なる影響を與へたものであります、夫れから佛教の傳播に由つて支那や日本に於ける文學に影響を與へたことは今更論ずるに及ばない、近代西洋文學でも直接間接に印度の文學から尠からぬ影響を受けた獨逸の有名な作者シルラーの脚本にマリア、スツアルトといふのがあります、是れは其の全部ではありませぬけれども、或一部分は印度のカーリダーサと云ふ有名な作者の書いたメガヅータ(雲の使)と云ふ脚本から脱化し來つたものであるといふ、又ハイネの蓮華、其の他短かな詩の中にも、印度の思想を土臺として作つた所のものがあります、尚近來に於ては有名な獨逸の詩人リユツケルトに婆羅門智と云ふ作がある、是れは彼の英吉利のマクスミユラーが非常に賞賛し、ゲーテーも尚及ばぬ所があると云つて居るものである、是は名の通りバラモンの思想を
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