ら帰つてまいりましたばかりでお母さまのお気持分らず、ほんとにまゝ子根性といふのだつたのでございますね。
 浩造さまご夫婦は春早々に、こゝよりはもつと北の十勝ともうすところの、只今貸下申請中の開墾地にお入りになるのださうで、辛抱してやつと住みよくしたとおもふと、また新しい開墾地に入らなければならないなんて、ひどく馬鹿げたことだと、おまきさまは冗談のやうにおつしやいましたけれど、ほんとにさうにちがひなく、私が追ひだすやうで済まない気がいたします。浩造さまも夫の手伝ひして十年も開墾のお仕事なすつたのですもの、このまゝ、この百町歩の農場の半分なり三分の一なりお分けしてあげられたらと思ふのですけれど、夫には夫の考へがあるらしく、浩造はまだ若いのだし、開墾の仕事には馴れてゐるのだから、もうひと働きしてお国のために土地を開かなければならん。北海道はまだまだ奥がひろいのだ。そして、今度は立派に独力でやつてみなければ、ほんとの北海道開拓者にはなれないのだ。と笑つてとりあげません。たゞ私ひとり済まないやうな気持でございます。
 お母さまのお手紙にございました箪笥はまだ買ひません。春にでもなつて札幌に行つたときにともうし、それまで私の名儀で銀行にあづけてくれました。この開墾小屋に、新しい桐の箪笥なぞふさはしくないやうな気がいたし、もつと暮しがとゝのつてからでもいゝやうにおもはれますけれど、おほせのとほり買ふとき買つておかないと、せつかくのお母さまのご丹誠が知れなくなつてももうしわけないことですから、そのうち折をみて必ずとゝのへます。
 二月はいちばん寒い時ださうですけれど、そんなに辛くもなく、もうあと一月もすればそろそろ雪どけになりますさうで、どんな土がこの雪の下にかくされてゐるのかと、楽しいことでございます。
 自分の勝手なことばかり書きましたが、お母さまのお体いかゞでいらつしやいませう。このあひだからもうし上げようと存じて書き忘れましたが、掘抜きの井戸端が苔で大分滑りますから、どうぞお気をつけなすつて下さいませ。
 春江がよく働いてくれるとよいと念じてをります。あのひとも、今度は私がゐないのですからほん気になつてお母さまのお手伝ひ出来るだらうとはおもひますが。
 では、坪井の叔母さまによろしく。
   二月二十五日[#地から1字上げ]ちよ
  お母様

 土がでてまいりましたのですよ、お母さま。北海道の土は黒くて、やはらかで、生きてゐるみたいなのでございますよ。裏の原始林の大きな楡の木のまはりから第一ばんに雪が消えはじめました。さういたしますと、すぐその下から去年の落葉におほはれ、しつとりと水気を含んだ土があらはれ、その土にはもう春の若草の芽が、生き生きと頭を出してゐるではございませんか。無邪気に、しかも大胆に生きてゐることを主張してゐるみたいで笑ひだしたくなるやうなのでございます。
 おまきさまの赤ちやん――千鶴ちやん――によいお祝ひ着ありがたう存じました。それはそれはよろこんでゐました。私も肩身のひろいおもひで、お母さまのお心づくし身にしみてありがたく思ひました。
 それから、私からとして坪井の叔母さまにいたゞいてあつた友禅でおちやんちやんを縫つてさしあげましたのは、いろいろおまきさまにお世話になつてをりますためで決して決して実家からいたゞいた分が足りなかつたといふわけではないのでございます。ご相談もうしあげますにも日がかゝりますので勝手にさしあげてしまつて、お気をお悪くあそばしたのでしたら、どうぞおゆるし下さいませ。
 浩造さま方の貸下地のこと、あまりはかばかしくゆかぬらしく、いろいろと厄介なことになつてをります。もつとも、あまり地味のよくないところで、浩造さまも、せめてこの土地ぐらゐの土質なら、いくら北でも開墾し甲斐があるのだが、とてもゆくゆく水田にはなりそうもないので――とあまり気乗りなさらぬごやうすなのでございます。おまきさまもやはり、こゝからお離れになりたくないらしく、赤ちやんがお出来になつたばかりなのに、新しい未開地にお入りなされるのはお苦しいに違ひないことで、出来れば私が代りたいくらいでごさいます。千鶴ちやんは浩造さまによく似たまる顔の丈夫さうな赤ちやんで、もう小浪におんぶされにこにこ笑ひ、家中の人気をひとりでさらつてしまひました。
 けふはこれから農場の南のはづれの雲雀耕地にプラオを入れるのだともうしてをりますので私もいつしよに出かけます。この雲雀耕地といふのは夫がつけた名なのださうでございます。この村の志文ともうすのも夫が名づけ親とのこと、あなたは土に志しなすつたのに――とももうしましたら、いや俺達の子供に、ひとりぐらゐは文に志すものができるかもしれないと笑ひました。でもあのひとも和歌を作りますのでございますよ。それが性質そのまゝにかたよつてちよつと漢詩みたいなのでございますの、こんどご披露いたしませうね。ではけふはこれだけ、おからだくれぐれもご大切にあそばして下さいませ。
   四月十八日[#地から1字上げ]ちよ
  母上さま

 たいそう忙しい毎日なのでゆつくりお手紙さしあげるひまもなく、気にかゝりながらごぶさたしました。お兄さまお具合お悪い由、こまりました。せつかくの学業も中途でお止しにならねばならぬこと、私も残念でたまりません。でも、こゝ一二年のご静養でよくおなりあそばせば、今度こそ思ひきつて、支那にでも南洋にでもいらつしやるのですから、いまのうちあせらずすつかりおなほしになつていたゞきたうございます。
 もうあと一年といふところで、ほんとに惜しうはございますが、もう相当に支那についてのご勉強もおできになつていらつしやるのですもの、あとはなによりお体が大切、丈夫な体でなければ、なにひとつ初心を貫くこと出来ぬものと、しみじみこの頃は考へてをります。私もおかげさまで丈夫なのがなによりのとり得。小柄で弱々しげに見えるくせに、案外働けると、夫はじめ皆さまに驚かれてをります。なれぬ百姓仕事は、初めの半月ほどこそ、くたくたになりこんなことでつゞくかしらと、吾ながらあやぶみ、かなしくなりましたけれど、唇をかみしめてこらへてをりますうち、体も馴れ、ようりようも覚え、この頃ではさほど苦しいとも思はず、いまではどうやら二頭曳のプラオのハンドルを持てるところまでこぎつけました。ほんとにはじめのうちは、夜になると、からだぢうすきまもなしに骨までたゝかれたやうで、とても明日の朝は起きあがれまいとあやぶみました。もちろん朝になつてはいつそう苦しいのでしたけれど、モンペをはき、きやはんをつけると気が張り、またどうやらその日一日がつゞけられるのでございました。
 このやうな生活に耐えられたのも、常日頃のお母さまのお心遣ひのおかげと、しみじみありがたく思つてをります。
 ことに五つのときから十三の春まで、矢倉沢の山に里子に出しておいて下すつたおかげで丈夫になれたのでございます。ちよはかあいさうに、お父さまが亡くなるとすぐ里子に出されて、やつぱりなさぬ仲だから――なぞと、口さがないひとびとの言葉を真にうけて、お母さまをお恨みした日もありましたこと、いまさらもうしわけなく存じます。
 胸を患らつて亡くなつた生母の体質をそのまゝ受けた私を、どうかして丈夫に育てあげたいとのご苦労も知らず、生れた家でわがまゝいつぱいの春江を羨み、家に帰つてからさへとき折りは、すねておみせしたり、ほんとに悪い私でございました。
 今度の結婚のことも、なにもえりにえつて流刑のひとの行く北海道くんだりまで追ひやらなくとも――などゝ、意地悪くそんな意味のこといふひともありましたのに、亡くなつたお父さまは以前から拓殖の志のあつた方だ、箱根の仙石原を開墾して楮の木を植ゑ初めなすつたり、鴨の宮の池を埋めて造田の計画をおたてなすつたりなすつた方だ。お父さまはおまへが北海道の開拓者の妻になれば、ご自分の志をつぐものとおよろこびなされるであらう。と、反対を押しきつてきつぱり今度のはなしをきめて下さつたお心も、今にしてはつきりうなづけるのでございます。
 こゝの春はむせるやうな生々したものでございます。お母さまにこの落葉松の緑玉を粉にしてふりかけたとしかみえぬ新芽をお目にかけたうございます。裏の原始林には夜の白々あけから、くろつぐみや山鳩がなき、見渡すかぎり山ぎはまで続く農場の耕地には作物がまかれました。とりいれの日の素晴しさを想ふだけでも胸がいつぱいになります。この広い耕地を十年十五年の後にはすつかり水田にする積りだと夫はもうしてをります。夫はまだまだ開墾して畑になつたゞけでは満足してゐないやうすです。只今はこちらでは水稲は殆ど作つてをりませんが、いまに風土に合つた稲の品種改良がされゝば、きつと、内地のやうな水田にして、北海道で使ふお米は北海道でまかなへるやうにしなければならないのだなどゝ、夢のみたいなことを考へてをります。ほんとにお父さまが丈夫だつたらどんなにかお気が合ひ、よいお話し相手であらうと思ひます。
 なにかくどくどゝ書いて大切なこと忘れるところでございました。どうぞお叱りにならないでおきゝ下さいまし。それは、あの箪笥を買ふために下さいました百五十円のお金、実は浩造さまの土地のことで、どうしてもお金が足りず夫も心配してをりましたので、さし上げることにいたしました。
 十勝の方の土地がなかなか道庁からの貸下げ許可がおりませんで、困つてをりますやさきに、雨龍と申しますところの本願寺所有の未開地が開放され、安く売りにでたのでございます。夫は、おまへの金は必ず返しお母さまのご丹誠の箪笥を買つてやるといひますが、私といたしましては、お母さまさへお許し下さいますのなら、箪笥なぞほしくはございません。私のせめてもの心づくしに、浩造さま方が十勝よりもずつと暖かで地味もよいといふ今度の開墾地を手に入れなされ、他日成功なさりさへすれば本望でございます。ものごとのほんとの意味、ほんとのよいことをお分りになるお母さまには、きつとよろこんでいたゞけるとおもひますので、私、かくさずおしらせいたすことにいたしました。ちよはもう他人の家のもの、それで勝手なことをいたしたとお腹立ちのございませぬやう、大変急なおはなしでしたのでお母さまにお問合せのひまもなく、このやうな大それたこと、ひとりぎめいたし、なにか心さわぎますけれど、どうぞお許しあそばして下さいませ。お母さまからいたゞいたお金でちよが日本の国土をひらくお手伝ひいたしたとおぼしめして、どうぞお叱りにならないで下さいまし。
 浩造さまも、おまきさまも、大そう感謝され、それはそれはご満足なご様子で、二三日うちに雨龍の開墾地にお入りになります。小浪がごいつしよに行くことにきまりました。おまきさまに、なにやかとお頼りもうしてゐましたので心細くなりますし、千鶴ちやんも可愛くなつてまいりましたのに急に淋しくなることでございませう。
 内地はもう青葉でございませうね。いまごろ、お庭のさつきがさかりのころ、あの赤い色や、庭石のたゝずまひ、かうしてゐても目にみえるやうです。北海道はこぶしの花が満開でございます。こちらでは、こぶしのことを四季桜と呼んでをります。桜は五月なかばを過ぎなければ咲かないさうでございます。そのかはり、梅も桃もりんごの花もみんないつしよに咲くのださうでそのみごとさがおもひやられます。
 梅雨になりますと、またお体のお具合お悪くなられはしまいかと案じられます。どうぞおいとひ遊して下さいませ。お兄さまくれぐれもお大切に。
 この手紙のご返事切にお待ち申してをります。
   五月二日[#地から1字上げ]ちよ
  母上さま



底本:「ふるさと文学館 第一巻 【北海道1[#「1」はローマ数字、1−13−21]】」ぎょうせい
   1993(平成5)年7月15日初版発行
底本の親本:「風の街」白都書房
   1946(昭和21)年
初出:「戦時女性 6」
   1944(昭和19)年
入力:鈴木厚司
校正:noriko saito
2007年4月4
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