見を許されるなどと、ただの一度でも想像したことがあったろうか。
 竜太郎は感動して昨夜はとうとうまんじりともすることも出来なかった。たとい、これで一期の別れになるにもせよ、あの心の優しい少女を荘重な玉座の上で再び見ることは、限りない嬉しさだった。
(どんなに、立派な様子をしていることだろう!)
 何ともいえぬ親身な愛情が、心をうきうきさせ、どうしても寝つかせなかった。
 自分の隣りに、端麗な面もちをした、年の若い式部官が一人乗っている。いままで、まるで作りつけの人形のように、身動きもせずに前のほうばかり眺めていたのが、車寄せへ自動車がとまると、突然、竜太郎の方へ上身をかたむけ、「女王殿下は、修道院へお入りになるご意志がおありなのです。……ご存じでしたか?」
 と、早口に、囁くように言うと、それっきり、また以前のように、口を噤んでしまった。
 金モールの制服を着た、帝政時代風《デレクトアール》の侍僕が立ち並んでいる長い廊下を、竜太郎は、式部官に導かれてしずかに歩いて行った。
 眼もあやなゴブラン織の壁掛が掛け連ねられてある広い待合室には、燕尾服や、勲章や、文官服や、大礼服《ローブ・デコルテ》が溢れるばかりにうち群れていた。典雅な会話と、洗練された社交的な身振りが、花のように揺れていた。
 謁見室につづく、見上げるように大きな楡の扉の両脇に、白い長い鳥毛のついた、金色の兜をかぶった竜騎兵が、抜剣を捧げて直立していた。
 竜太郎は、何気なく、向って右側の竜騎兵の顔を見ると、思わず驚異の叫びを上げた。それは、いつかの日、写真の献辞を読んでくれたヤロスラフ少年だった!
 竜太郎は、われともなく、その方へ進んで行って、
「ヤロスラフ君」
 と、声をかけた。
 ヤロスラフ少年は、何事も聞かなかったように、空間の一点に視線をすえて、凝然と直立している。
 瞬きひとつしなかった。
 竜太郎は。じぶんのはしたなさが悔まれた。いかにも参ったような気持になって、もとの場所まですごすごと引き退った。
 一見、身すぼらしいほどのあの少年が、近衛の竜騎兵であったとは!……またしても、何か、得体の知れぬ不安が、ムラムラと湧き起るのをどうすることも出来なかった。突然、ある想いが頭にひらめいた。
(写真を盗んだのは、ヤロスラフ少年ではなかったろうか)
 じぶんが王女の写真を持っていることを知ってるのは
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