やっと越えたばかりの、この世のものとも思われぬような美しい面ざしの婦人である。
二人は、毎月、八日の午後四時頃になるとやって来て、第二通路の角の大理石の墓碑に花束を置き、一ときほどここの土壇《テラッス》で休んでは、睦まじそうに腕を組んで帰ってゆく。
ある夏の夕方、私は墓地の中を気ままに散歩していたが、ふと、あの二人がどういう人の墓に詣でるのかと思い、廻り道をしてその墓のあるところへ行って見た。
それは、カルラロの上質の大理石に、白百合の花を彫った都雅な墓碑でその面には、次のような碑銘が刻まれていた。
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リストリア国の女王たるべかりしエレアーナ皇女殿下の墓。――一九三四年三月八日、巴里市外サント・ドミニック修道院に於て逝去あらせらる。
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神よ、皇女殿下の魂の上に特別の御恩寵を給わらんことを、切に願いまつる。
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一
もう、そろそろ冬の「社交季節《セエゾン》」が終りかけようとしているので、ホテルの広い食堂には、まばらにしか人影がなかった。
志村竜太郎は、海に向いた窓のそばの食卓に坐って、ぽつねんとひとりで贅沢な夕食を摂《と》っていた。この長い半生、たいていそうであったように。
地中海の青い水の上に、松をいただいた赤い岩がうかんでいる。いま長い黄昏が終り、夕陽の最後の余映が金朱色にそれを染めあげる。
竜太郎は、沈んだ眼ざしでそれを眺めながら、口の中で、こんなふうに呟く。
「おれは、明日、あそこで、死ぬ」
ホテルの小艇《キャノオ》が、あの岩のあたりまで漕ぎ出してゆく。一発の銃声が反響もなく空に消え、ひとつの肉体が軽々と空間の中に落ちこむ。
青い水をしずかにひらいて、いのちのない骸《むくろ》を受け取り、それを静寂な海の花園に横たえるために、ゆるやかに、ゆるやかに、おし沈めてゆく……
「明日、おれは……」
なぜ、明日でなくてはいけないのか。
それは、こんなにも自分を困惑させ、こんなところへ押しつめてしまった人生に対して、最後にこちらで存分に愚弄し、焦らしてやりたいと思うからである。
死が待ちかねて、海から手をあげて催促する。……そんなに急ぐにはあたらない。もうしばらく、そこで待っていろ。どっちみち、長い時間ではない。明日まで、明日まで……。
竜太郎はソルベットを啜《すす》り
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