ンスを依頼した事実もあがっている。湖水に絵を描きに来るのに、こんな手の混んだことをするのはどういうわけだ? 納得のいくように話してもらおう」
 癌になる前に、自分という存在を、上手にこの世から消してしまおうというのは、久美子の心の中の恥部で、できるなら隠しておきたいことだったが、ここまでおし詰められれば逃げきれるものではない。久美子は父が肝臓癌で死んだことから、放送局の屋上で「肌色の月」を見て、もういけない、と思い自殺を決意するまでの経過をありのままに話した。
「宇野久美子が自殺したと騒がれるのは、やりきれないと思ったから。そんな単純なことだったんです。この気持、おわかりになるでしょう?」
「自殺するにはいろいろな方法がある。場所もさまざまだ……ぜひ、あの湖水でなくてもいいわけだね?」
「あの湖水をえらんだのは、あそこで死体が揚ったためしがないと聞いたからです」
 捜査一課は背伸びのようなことをすると、灰皿に煙草の火をにじりつけて、椅子から立ちあがった。
「話にしては、よく出来た話だ……よかろう。癌研で徹底的に調べてもらってやる。そのうえで、ご相談しよう」



底本:「久生十蘭全集 6[#「6」はローマ数字、1−13−26]」三一書房
   1970(昭和45)年4月30日第1版第1刷発行
   1974(昭和49)年6月30日第1版第2刷発行
初出:「婦人公論」中央公論社
   1957(昭和32)年4〜8月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※底本は、結末部を夫人の久生幸子が加筆しています。著作権がきれる2053年までこのファイルからは割愛します。
入力:tatsuki
校正:ロクス・ソルス
2008年9月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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