水草
久生十蘭
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)国手石亭《ドクトルせきてい》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き](〈宝石〉昭和二十二年一月号発表)
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朝の十時ごろ、俳友の国手石亭《ドクトルせきてい》が葱《ねぎ》とビールをさげてやってきた。
「へんな顔をしていますね。どうしました」
「田阪《たさか》で池の水を落とすのが耳について眠れない。もう三晩になる」
「あれにはわたしもやられました。池を乾して畑にするんだそうです」
「それはいいが、そのビールはなんだね」
「あい鴨で一杯やろうというのです。尤もあひるはこれからひねりに行くのですが」
田阪のあひるが水門をぬけてきて畑を荒してしようがないから、おびきだしてひねってしまうというはなしなのである。
石亭は田阪の一人娘とむずかしい仲になっていて、娘の継母が二人をこっそり庭で逢わせたりしていたということだったが、復員してくるとすっかり風向きがかわり、娘を隠したとか逃したとか、そういう噂をよそからきいていた。そんな鬱憤も大いに手伝っているのだと察した。
「釣針に泥鰌《どじょう》をつけておびきよせましてね、その場で手術刀《メス》で処理してしまうんです。中支ではよくやりましたよ」
そんなことをいいつつ尻はしょりをして出かけて行ったが、なかなか帰ってこない。
きのう田阪の女中が来て、誰かあひるを殺して藪の中におしこんでありましたんですがもしお気持がわるくありませんでしたらといって、大きな手羽《てば》をひとつ置いて行った。きのう誰かにやられ、きょうまた石亭にしめられたのでは田阪のあひるも楽じゃないなどとかんがえているところへ、石亭がへんにぶらりとしたようすで帰ってきて、手に握っていたものを縁の端へ置いた。髪毛《かみのけ》が毬《まり》のようにくぐまった無気味なものである。
「それはなんだね」
「こんなものがあひるの胃袋から出てきたんです。まあ、見ていてごらんなさい」
石亭はひきつったような笑いかたをするともさもさを指でかいさぐって小さな翡翠《ひすい》の耳飾をつまみだした。
「これはヒサ子の耳飾ですから、髪毛もたぶんヒサ子のでしょう。継母がヒサ子を殺して池へ沈めたのを、あひるが突つきちらしてこれが胃の中に残ったというわけです」
「えらいことをいいだした
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