議なご縁でした。……しかしながら、こういう結着になりますなら、不幸、かならずしも不幸ではない。なにとぞ、今後ともご別懇に願いましょう。……殊に、こういうお催しは将来もたびたびやって頂きたいもんで……。では、ひとつ、寛ぎますかな」
 と、いうと、上衣をぬいで、ワイシャツの袖をまくりあげた。葵はうつむいて、くっくっ、と笑いだした。笑いがとまらない風だった。
 乾は、いっこう意に介せぬようで、うるさく、ピチャ、ピチャと舌鼓をうちながら、
「……諸氏の顔を見るにつけ、思いだされるのは、遺産相続の件ですて。……あたしはね、最近、あれこれと考えあわせて絲満氏さえ殺されなければ、かならず、いくばくかの遺産を手にいれていたろう、と思って、絲満氏の下手人が憎くて憎くてならんのです」
「面白いですね。それはどういうんですか」
 と、まじめに、久我が、たずねた。西貝も葵も、フォークを休めて顔をあげた。
「あの遺産相続の通知は、洒落でも冗談でもない。正真正銘のことだったのです。……告知人は、すなわち絲満南風太郎そのひとだったんで。……あの朝、五人を自分の店へ招んで、それぞれ財産を分与するつもりだった。……思うに、そのひとは、癌かなにか病んで、みずから余命いくばくもないことを知っていた。しかも、手紙の文面から察すると、病態はすこぶる険悪だったのですな」
 西貝がふきだした。
「……乾老。あんたも新聞を読んだろうが、絲満って男は、古今未曽有のあかにし[#「あかにし」に傍点]だったんですぜ。……その男が、どこの馬の骨かわからないやつに、自分の財産を……」
 しずかに、乾がこたえる。
「たぶん、そう言われるだろうと思っていました。……あたしも新聞を読みました。新聞で絲満氏の性行を知るにおよんで、いよいよ、あたしの想像がまちがっていないことがわかったのです。……西貝氏、あなたがそういわれるのは、吝嗇漢というものの心情を解していないからです。(ひと口のむと、またコップをおいて)正直なところ、かくいうあたしも吝嗇漢です。されば、あたしには、絲満氏の気持がじつによくわかる。いったい、吝嗇漢というものは、そういう絶対境に追いこまれると、得てして非常に飛びはなれたことをやりだす。……絶体絶命だ、どうしても天命には勝てん、なんていうことになると、いままで、圧しつけに圧しつけていたものが、一ぺんに爆発する。……唯物凝固の世界から、一躍にして、虚にして無なる境地に直入する。あかにし[#「あかにし」に傍点]であればあるほど、反動も大きければ爆発も異常だ。……ご承知の通り、あの前夜、絲満氏は見知らぬ女に大盤振舞をし、自分もしたたかに飲んだといいますが、絲満氏を知っている連中の話では、そんなことは何十年来なかったことだそうです。……これなどはじつに、その辺の消息を雄弁に物語っているじゃありませんか。……どうです。それでもまだご異存がありますか。……(急に調子をかえて)だからさ、どの位あったか知らないが、当然手にはいっていたものを、むざむざ横あいからひっ攫われたかと思うと、あたしあそれが残念で、いても立ってもいられないんだ。……(卓の上へ両手をついて、三人のほうへ身体をのりだすと)あたしあ、巳年生れでね。これで、嫉妬心もつよければ、また、ずいぶん執念も深い性なんだから、こんな目に逢わされてだまって引っこんでるわけはない。……あたしの手で、いまにきっと、そいつをとっちめてやるつもりなんだ。……なアに、どうせ長いあとのこっちゃアありゃしない。……いまに見てろい、どんな目を見るか! ぬすっとめ!」
 そういうと、急にぐったりと、卓の上へ頬杖をついて、うわごとのように、なにかぶつぶつ[#「ぶつぶつ」に傍点]つぶやきはじめた。酔態としても、これはかなり異様なものだった。
 西貝が、久我に、ささやいた。
「恐ろしい精神状態だ」
 久我は、ささやきかえす。
「むしろ、奇抜ですね」
 西貝がいった。
「……乾老。……性格のちがいというのはえらいものだね。……小生は寅年生れだが、遺産のことなんか、とうに忘れていたよ」
「忘れるのは、あんたの勝手だ」
 乾が、うなるように言いかえした。
「ま、立腹したもうな。……しかしながら、絲満の加害者が、あんたの血相を見たら、たいてい竦《すく》みあがるだろう。なにしろ、凄かったぜ」
 乾は、ふふん、とせせら笑っただけで相手にならなかった。
 久我がにやにや笑いながら、
「同感ですね。……私はついさっき取調室から出てきたばかりですが、帰りがけに、司法主任がこういってました。……だいぶご機嫌でね、……君、加害者はやっぱり、あの朝〈那覇〉へきた五人のうちの一人なんだ。見てたまえ、誰れだか明日になればわかるから、って……。(いかにも面白そうに、三人の顔をながめながら)……し
前へ 次へ
全47ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング