聴いていたが、静かに眼をあけて顔をうつむけると、
「縁もゆかりもないこのわたしを、それほどまでに劬《いたわ》ってくれるそなたの親切。身に沁みてうれしく思います。六平が生きているというのはそなたの嘘。……そなたの掛引きに乗って言うのではない、ひとえにそなたの真情に報《むく》いるため。……わたしの恥、ひいてはお父上の恥辱。これだけは死んでも言うまいと覚悟していたのですが、つつまずにそなたへ聞かせよう」
蘆の葉が風にゆらぐように、ソヨと肩をそよがせ、
「去年《こぞ》の春から父上のお手もとに召しだされた三枝数馬《さえぐさかずま》という小小姓《こごしょう》。いかにも愛らしく美しいものだによって、ときどき召しよせて香遊びの相手などいたさせているうちに、岩根の下ゆく水、たがいの心が通うようになりました。……お父上は文教のお心深く、諸事わけてもご厳格。このような始末がお耳にはいったら、数馬の生命はないもの。今年の節分の夜、いつものようにわたしの部屋にいるところへ鬼を払うとて前ぶれもなく、とつぜん父上がお渡りなさいました。腰元の注進で、数馬はどうにか部屋の長持の中へ押隠したが、それさえようよう。きわどい瀬戸ぎわで覚られることだけはまぬがれましたが、父上がおもどりになったあとで、急いで長持の蓋をはらって見ますと、数馬はもう息絶えて冷くなっている。そのときの、わたしの驚きと悲しみ……」
顎十郎はうなずいて、
「……なるほど、そういうわけだったんですか。数馬さんとやらの死体の処置に困って、六平にそっとかつぎ出させ、このへんならまず皀莢河岸《さいかちがし》、重石《おもし》でもつけて濠の深みへ沈めたというわけ。よくあるやつですな。そのくらいのことなら、なにもそう秘し隠されるには及ばなかった。……よくわかりました。そういうことならもう大丈夫。明日といわず今日じゅうに、かならず真の下手人の当りをつけてごらんに入れますから、大船に乗ったつもりでいらしてください。……それについて、加代姫さま、つかぬことを伺うようですが、あなたは、だれかに恨みをうけるような覚えはありませんか」
加代姫は急に咽《せ》きあげ、その涙のひまひまに、
「恨まれる覚えはたったひとつある。あんな無惨な死に方をさせたこのわたしを、あの世とやらで、数馬が、きっと恨んでいましょう」
「ほほう、それは耳よりな話ですな。……ながながとくだらないことばかりをお喋りしてさぞお耳ざわりだったことでしょう。手前はこれから『かごや』へ行って、とっくりと検べあげ、夕方までに吉左右《きっそう》をお知らせいたします、では、ごめん」
和泉橋の北づめの藤堂の屋敷を飛びだす。
橋を渡ったむこうがわが『かごや』。急ぐようすもなくのそのそと和泉橋を渡り、のっそりと『かごや』のなかへ入って行く。
あげ座敷の上框に腰をかけていた藤波友衛。
「いよう、これは仙波さん、絶えて久しいご邂逅。どうです、駕籠屋はもうかりますか」
「どなたかと思ったら藤波先生。あいかわらずご勝健の体でなにより。それはそうと、今度の件ですがね、ありゃア加代姫が殺ったのではありません。加代姫が引きとってから、この『かごや』へやって来たやつの仕業なんです」
藤波は、眼ざしを鋭くして、
「相もかわらずのあなたの出しゃばりにも困ったものだ。駕籠屋は駕籠屋相応のことをしておればいい。よけいなおせっかいはご無用です」
「などと言いながら、その実、訊きたいのでしょう。あなたの顔に、ちゃんとそう書いてある」
藤波は、蒼沈んだ額にサッと怒りの血のいろを刷いて、
「仙波さん、ふざけるのはいい加減にしておきなさい」
「おや、ご立腹ですか。お怒りになるならお怒りになってもかまわないが、あたしの言うことをきかずに加代姫などを突きおとしたら、あなたは生涯うだつのあがらないことになりますぜ。『野伏大名』のときの例もあるでしょう、突っぱらずに、あたしの言うことを聴いてください。あなたの鼻をあかそうの、あたしがこれで功名をしようの、そんな気は毛頭《もうとう》ないんだから」
藤波は、唇を噛んでうつむいていたが、
「あたしも加代姫が殺ったとは、どうも納得の行きかねるところがあって、先刻からここで悩んでいたんです。……加代姫が帰ってからこの『かごや』にやって来たやつが下手人だという、あなたの推察《みこみ》はいちおう穿《うが》ったところがある。そこまではわたしも気がつきませんでした。……ねえ、仙波さん、あなた、かつぐんじゃありますまいね。あなたがそうおっしゃられる以上、なにかたしかなお推察があってのことでしょうが」
「藤波さん、よく折れてくだすった。あなたがそんなふうにおっしゃるなら、あたしも正直なところを申します。……ここへ入って来るまで、実は、あたしにもなんの当てもなかった。とこ
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