辻駕籠をはじめてからもう半年近くになるが、いっこう芽が出ないというのも、いわば因果応報《いんがおうほう》。アコ長のほうは、先刻ご承知の千成瓢箪《せんなりびょうたん》の馬印《うまじるし》のような奇妙な顔。とど助の方は、身長抜群《みのたけばつぐん》にして容貌魁偉《ようぽうかいい》。大眼玉の髭ッ面。これでは客が寄りつきません。
江戸一の捕物の名人ともあろうものが、開店祝いの祝儀酒を狙うまでにさがったってのも、またもって、やむを得ざるにいずる。
亭主は、しゃくった尖がり面をつんだして、
「お肴はなんにいたします。鰹《かつお》に眼張《めばり》、白すに里芋、豆腐に生揚、蛸ぶつに鰊。……かじきの土手もございます」
前垂に片だすき、支度はかいがいしいが、だいぶ底が入っている体で、そういうあいだにも身体を泳がせながら、デレッと舌で上唇を舐めあげ、
「ひッ。……今も申しあげましたように、なにによらずひと皿だけお添えしやす。……ひッ、どうか、ご遠慮なく、ひッ」
とど助は、頭をかいて、
「わア、それは、誠に恐縮」
年嵩《としかさ》な中間が、
「……友達がいにあっしからご披露もうします。この亭主は六平と申しましてね、ついこのごろまで藤堂《とうどう》さまのお陸尺。つまりあっしらとは部屋仲間なンでございますが、上州の叔父てえのがポックリと死《ご》ねて、大したこともありませんでしょうが、ちっとばかりまとまったものが残ったんで、スッパリと陸尺の足を洗い、ここを居ぬきで買いとって造作を入れ、まア、ごらんの通りの居酒屋をはじめたンで、あっしらは、まアこうして熨斗《のし》のついた暖簾の一枚も奮発《ふんぱつ》して景気をつけに来ているンでございます。……ねえ、お仲間さん、実はこの店を、きょう一日あっしら五人で買い切ったんでござんす。大名であろうと国持《くにもち》であろうと坊主、御高家、浪人者。……ここへ土下座をしてお飲ませくださいと頼んだって、まっぴらごめんと突っぱねやす。恩にきせるわけじゃねえが、お見受けするところお仲間さんだから、それで、祝儀をつけてもらっているンです。同業|相憫《あいあわれ》む、てえ諺もありますからねえ。なんと、そんなもんでしょう。……ねえ、お仲間さん、そういう訳なんだからそんなところに引っこんでいねえで、どうかこっちへやって来ておくんなせえ」
「兄貴のいう通りだ、さあさあ、
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