猿若町《さるわかまち》の役者を翁と嫗《うば》に扮装させて立たせ、岩木は本物の蓬莱石《ほうらいいし》。亀はこれもまた生きた蓑亀《みのがめ》をつかって、甲羅に金泥で『寿』という字が書いてあるという豪奢かげん。
 大島台の前に花婿と花嫁がすわり、親類縁者、出入りの懇意の者までひとり残らず上下をつけていながれ、いよいよこれから盃事《さかずきごと》に移ろうとするとき、ひろびろとした前栽の松の木の下にぼんやりと浮かびあがったひとの姿。
 白羽二重の寝衣をグッショリと水に濡らし、肩や袖に水藻や菱の葉をつけ、しょんぼりと立っている首のない女の幽霊。
 縁の近くにいたひとりが見て、わッ、と頓狂な声をあげたので、一同、なんだろうとそのほうへ振りかえる。男蝶《おちょう》女蝶《めちょう》の子供はひと目見るより、
「あれッ」
 と言って、長柄《ながえ》の銚子を投げ出して畳へつっぷしてしまう。
 この声に、つつましくうつむいていたお米が、綿帽子のはしを捲くりあげてヒョイとそのほうを眺めると、顔色を変えて、
「ちッ、ふざけるない」
 と叫びながら、盃台の朱塗りの盃をとりあげて亡霊のほうへ投げつけておいて、となりに坐っている花婿の金三郎の手をとり、
「おい、梅花《ムイハア》、あんなものまで庭先へ立たせるようじゃ、なにもかもネタが割れた証拠。人間は切りあげが肝腎。このへんで尻ッ尾をまいて逃げだそうぜ。マゴマゴしていると手がまわる」
 木曽の親類だといって、金三郎の介添になっていた骨太なふたり。いきなり突ったちあがって袴をぬいで畳にたたきつけると、
「おい、親分、お蓮のいう通り、もうこのへんが見切りどき。そんなところへ根を生やしていねえでいさぎよくお立ちなせえ。……どうせ、おれらは海の賊。たとえ江戸一の金持であろうと、婿面をしておさまることはねえと、いくらとめたか知れねえのに、陸へあがったばっかりにこのだらしなさ。手のまわらねえうちに早く飛びだしましょう」
 金三郎は、袴の裾をまくって大あぐらをかき、
「唐天竺《からてんじく》まで荒しまわっても、一代では五十万両の金をつかめねえ。……廈門《アモイ》の居酒屋で問わず語らずの金三郎の身の上話。うまく持ちかけて盛り殺し、陜西《シェンシー》お蓮がお米と生写しなのをさいわいに四人がかりの大芝居。寧波《ニンパオ》のお時を小間使に化けさせ、まず邪魔な惣領のお梅を砒霜
前へ 次へ
全15ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング