あったンです。ところで、その次によだ六がおりて来たときには、もう鯨は失くなっている。秀が櫓裏へあがって、よだ六がおりて来たそのあいだはわずか十分足らず。切るにしろ刻むにしろ、そんな短いあいだにあれだけの物を始末できるものでしょうか」
「こいつア驚いた。勘八も秀も鯨にさわって見たとは言っていやしない。しかも、飾場からずっと遠い桟敷の嶺で月の光でぼんやりそれらしい物がいると見ただけのこと」
と言って、飾場の真上に渡した梁丸太にからみついている五つばかりの輪索《わさ》のような物を指さし、
「おい、ひょろ松、あれをなんだと思う。妙なところに妙な物があるじゃないか」
「あれが、どうしたというンです」
「わからなければ言って聞かせてやる。そいつは鯨を描いた大きな絵幕をあの梁からつるし、その後でゆっくりと鯨の始末をしていたのだ。あの輪索がなによりの証拠。つまり、勘八と秀は絵幕に描いた鯨をぼんやりした月あかりで見て、あそこに鯨がいると思っただけのことだ。どうです、ひょろ松先生、合点が行きましたか」
ひょろ松、
「いや、一言もございません。鯨を持って行った方法はそれでわかりましたが、くどいようだが、
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