、これが木の葉なんぞでございますものか」
 とど助、受けとって提灯の光でためつしかめつしていたが、
「こりゃア驚いた。これはいかにも宝永乾字《ほうえいかんじ》。いたって性のいい小判だが、こんな古金《こきん》をどこから持って来るのだ」
「こんなことはわけもない。……安政や万延の新小判なら、とてもわたくしどもの手には入りませんが、こんな古金ならいくらでも持ってまいります」
「ほほう」
「わたくしどもは、どこの堂の下に、また、屋敷の床下に、どんな金が埋っているかちゃんと知っておりますから、金がいりますときには、自在にそういう埋蔵金《まいぞうきん》を掘りだしてまいります」
「なるほど。……なア、アコ長さん、よく筋が通っているじゃないか」
 とど助が、アコ長のほうへ振りかえると、アコ長が、だまって二本指を出している。とど助は、すぐうなずいて、
「なア、狸や」
「はい、なんでございます」
「二両なら、どうだ。二両なら行こうじゃないか」
 狸は、恨めしそうな顔をして、
「埋蔵金の話をしたって、いきなりつけこんで来るのはひどいですね。……しかし、まアしょうがない。では、二両はずみますから連れて行ってくださいまし」
「早速の承知でかたじけない。すると、なんだな、毎夜、今ごろ、このへんへ駕籠を持って来て待っておればいいのだな」
「はい、さようでございます。……たぬき[#「たぬき」に傍点]か? と念をおして、そうだと答えましたら前金で二両お取りになってから乗せてやっていただきます」
 アコ長は、へらへらと笑いだし、
「こいつアいいや。とど助さん、どうやら有卦《うけ》に入りましたね。これも、ひとえに金比羅さまのご利益」
「いや、まったく。これで楽が出来る」
「……それで乗せましたら、外から見えませんようにシッカリと垂れをおろしていただきます」
「いかにも、承知した」
「それから、犬が寄って来ましたら追ってくださいまし」
「仮りにも、片道二両の客だ。決して粗略にはせんから安心しろ」
「有難うございます」
 アコ長は、息杖を取りあげて、
「では、とど助さん、そろそろお伴するとしようか」
「ああ、まいるとしよう。さア、お狸さま、どうぞ、お乗りなさいまし」
 雲が切れて、月が出る。
 狸を乗せて、六本木から溜池へおりる。お濠の水に、十日月の影。
 狸は、いい気持そうに揺られながら、
「駕籠屋さん、いい月ですね」
「ああ、いい月だな。腹鼓でも打たんかい」
「あれは秋のものですよ。こう寒くちゃ、とてもいけません、腹が冷えますから」

   葛西囃子《かさいばやし》

 狸穴坂の欅の樹の下で待っていると、毎晩ひとりずつチョロリと暗闇から出て来る。
「たぬきか?」
「はい、たぬきです」
「さア、乗れ」
「連れて行ってくださいまし」
 堅気なふうなのもあり、武士もあり、また衣《ころも》をつけてくるのもある。いずれもひと癖あり気な、眼のキョロリとしたやつばかり、人間ならば、人相が悪いというところ。しかし、狸なんだからとがめ立てをしたってしょうがない。
 護国寺のわきを入って豊島ガ岡、奥深い森につづいた茫々の草原の入口で駕籠をおろすと、狸め、びっくりしたような顔で、
「おや、こんなところなんでございますか」
 と、恍けたことをいう。
「これが約束の場所だ」
「へい、そうですか。では、ここで降りましょう」
 すると、原っぱの奥で、きまって、ポンポンとかすかな鼓の音がきこえる。腹の丈夫な狸がいてここだという合図の腹鼓をうつのらしい。
 その音をきくと、狸は、嬉しそうな顔をして、
「ああ、あそこらしゅうございます。わたしを呼んでおります。ありがとうございました。では、さようなら」
「気をつけておいでなさい」
 狸は、お辞儀をして、ひょろりと草原の中へ入りこむと、すぐ姿が見えなくなってしまう。
 これで二両。
 偽金じゃない。それも性のいい乾字小判。
 二人とも、すっかり大有卦に入って、こいつアいいや、で、毎晩せっせと狸を送りとどける。
 その、七日目の晩。
 例の通り、欅の下に駕籠をおいて待っていると、
「ちょいと、駕籠屋さん」
 と、仇っぽい声がする。
 アコ長、眼を見はって、
「ねえ、とど助さん。今夜は、ご婦人のようですぜ」
「そうらしいの。どんなふうに化けてくるか、楽しみだの」
 熊笹を、カサコソと踏みわけながら闇の中から出て来たのは、二十四五の、それこそ、水の垂れるような器量《きりょう》よし。
 島田に銀元結《ぎんもっとい》をかけ、薄紅梅《うすこうばい》の振袖を腕のところで引きあわせるようにして、しんなりと立っている。
 痩せぎすの、すらっとしたいいようすで、眼だけは例によってちと大きいが、女となるとこれがかえって艶をます。睫毛が長くて眼の中がしっとりと濡れ、色がぬけるように白いので、実にどうも見とれるような美人。
 アコ長は、いやアと馬鹿な声をあげ、
「これは艶《あでや》か、あでやか。……大したもんですねえ、とど助さん」
 とど助は、うむと唸って、
「実に、感服した。こうまでとは思わなんだ。これが狸とはもったいない話」
「でも、早まっちゃいけません。ひょっとして人間だったらえらい恥をかく。ちょっと念を押して見ましょう。……もしもし、そこのご婦人、つかぬことを伺うようですが、あなたもやっぱり、その……」
 終りまで言わせずに、狸は婀娜に笑って、
「ええ、あたしは雌狸よ」
「こりゃアどうも、お見それ申しまして申しわけありません」
 雌狸は、ぷッと噴きだして、
「お見それしましたは、ないでしょう、ご挨拶ね」
 アコ長は、うへえと恐れて、
「これはどうも失礼。さア、どうかお乗りください」
 と、まるでカタなしのてい。
 雌狸は、いいようすでスラリと駕籠の中へ身体を入れ、
「どうぞ、やってくださいまし」
 とど助、息杖を取りなおして、
「お伴いたすでござる」
 二人ながら、たいへんな弾みよう。
 さて、その翌朝、神田|佐久間町《さくまちょう》の裏長屋、どんづまりの二間きりのボロ長屋でとど助がまだ高鼾で寝くたばっているのを、アコ長が、ひどく勢いこんでゆり起す。
「とど助さん、とど助さん」
 とど助が寝ぼけ眼をこすりながら起きあがって、
「消魂《けたたま》しい、なにごとです」
「落ちついてちゃいけない。うまうまシテやられました」
「なにをどうやられたのですか」
 アコ長は、いまいましそうに畳の上に小判を二枚投げ出し、
「ごらんなさい、ゆうべの二両は贋金《にせがね》です」
「なるほど、こいつアひどい鉛被《なまりき》せ。狸でも、やはり女は細かいな」
「それにしても、贋金というのはわからない。どうせつかませるなら木の葉だっていいわけなんだが、……いったい、こんな贋金をどっから持って来やがったもんでしょう。ごらんなさい、鋳座《いざ》も本物だし被せてあるのはヒルモ金。こりゃア素人になんぞ出来ない芸、よっぽどみっちりと鋳たものです」
「なるほど、そういうものか。……いつか禿狸をつかまえたらかならず埋めあわせをさせてやる」
 ふたりで、ブツブツ言いながら朝飯をすませ、このごろはもう気ままな道楽商売。空駕籠をかついで護持院原《ごじいんがわら》までやってくると、たいへんな人だかり。
 ふたりとも物見高いほうだから、人垣を押しわけて覗きこんで見ると、霜どけの濡れた草の上に、腰、肩、背中と、さんざんに斬られて死んでいるのが、ゆうべの雌狸。
 アコ長は眉をひそめ、
「おお、こりゃ可哀そうなことになった。なんのつもりでこんなところへノソノソ出て来やがったんだろう」
 とど助も溜息をついて、
「ああ、いかにも美しい狸だったが惜しいことをした。こんなところへ無闇に出て来るからこんな眼にあうのだ。南無頓生菩提《なむとんしょうぼだい》、南無頓生菩提」
 殊勝らしく念仏なんか唱えているところへやって来たのが、もとは顎十郎の配下、神田のひょろ松。アコ長の顔を見るより懐しそうに走りよって来て、
「おお、これは阿古十郎さん、お久しぶりで。……それはそうと、ごらんの通りのわけあいでね、実ア、ここに斬られている女は、どうやら贋金つくりの一味らしいのです。こいつの背中の下に配布触れの一両小判が一枚おちていたんです。……この秋ごろから京大坂にしきりに鉛被せがつかわれるんですが、そりゃア、どうやらみんな江戸から流れ出して行くのらしいんです」
 アコ長は、ふうんと言ってなにか考えこんでいたが、唐突に、
「おい、ひょろ松、お前そこにその贋金を持っているか」
「へい、持っております」
「ちょっと見せてくれ」
 受けとってつくづくと眺めていたが、
「なア、ひょろ松、お前、上方で贋金のことをたぬき[#「たぬき」に傍点]と呼ぶことを知っていたか」
 といった。

 翌日から豊島ガ岡の原っぱで奇妙なことが始まった。
 どう渡って来たのか、蝦夷から来た『えぞたぬき』という変った狸がこの原へ住みつき、毎夜奇妙な狸囃子をするというのでたいへんな評判。
 山の手はもちろん、はるばる日本橋、浅草のへんからも弁当持ちで老若男女がつめかけ、この広い原っぱは身動きも出来ないような大混雑。物売り、露店なども出るという繁昌ぶり。
 なるほど、そろそろと陽が暮れかかると、草のあいだでテコメン舞か正殿鎌倉《しょうでんかまくら》によく似たなんともおもしろい狸囃子がテンテテンテケレツとはじまる。
 ところで、裏へまわって見ると、叢の中で、ステテンテンと、夢中になってやっているのは、実はアコ長ととど助、それに神田のひょろ松の三人。
 このへんで贋金を作っているのだろうがその場所がどこにあるのかわからない。むやみに人をよせて仕事の邪魔をしたら、かならずなにか仕掛けてくると思っていたら、果して、三日目の夜、ステテンとやっている三人に斬りかかって来た浪人者があった。それを取っつかまえたらすぐ白状した。見こみ通り、狸穴から駕籠でここへ運ばれて来たのは、江戸豊島ガ岡の古墳の下で大仕掛に鋳造している鉛被せ一両小判を一枚二朱ずつで京大坂から買いだしに来た贋金買いの連中だった。



底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]」三一書房
   1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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