狂《すっとんきょう》な声、
「いよウ、藤波さん、これは、これは、珍客の御入来。やはり、あなたもポチポチの組ですか。……そんなむずかしい顔をして突っ立っていないで、まア一杯おやんなさい。間もなく座持ちのいい乙姫さまが立ち現れて来ます。まアどうか、お平らに」
 藤波は、痩せた権高《けんだか》な顔を蒼白ませ、立ったままジロジロと顎十郎の顔を眺めていたが、やがて噛んで吐き出すように、
「ねえ、仙波さん、あなたがぬすっとの用心棒をつとめていたとは、さすがのこの藤波も、きょうのきょうまで気がつかなかった」
 顎十郎は、トホンとした顔つきで、
「手前がもそっと[#「もそっと」に傍点]飲めばよかった、たア、いったいなんのことです」
「とぼけちゃいけねえ、なにを言ってやがる。こんなところでとぐろを巻いていて、夜番の眼をそらし、裏でこっそり金蔵を破らせるなんてえのは、たしかにうまい趣向。貴様らしい思いつきだ。今にして思いあわせると、以前ちょっと甲府で役についていたことがあるというだけで、その後、四五年、どこでなにをしていたものやら誰も知っているものがねえ。……縁につながる叔父の森川庄兵衛のところへフラリと舞いもどって、なにくわぬ顔で北町奉行所の帳面繰り。……江戸一と言われた捕物の名人が、ひと皮|剥《は》ぎゃア、金蔵破りの大ぬすっとの同類とは、こいつアよっぽど振《ふる》ってる。……おい、仙波、永らくすっ恍けていやがったが、今度こそは年貢《ねんぐ》の納めどき、昔の誼《よし》みで、この藤波友衛が曳いて行ってやる。観念してお繩をいただけ」
 顎十郎は、両手で泳ぎだし、
「じょ、じょ、冗談じゃない。……それは、なにかの間違い」
 三太夫ていの老人は、御用聞をかきわけて前へ進みだし、血走った眼で顎十郎を睨みつけながら、
「そちらは間違いであろうと、わしの眼には間違いはない。ここな大泥棒めが。……殿様の褥に大あぐらをひっかき、酒を持って来いの、小鉢だのと、女賊を顎で追いつかい、しなだれるやら、色眼をつかうやら、恐れげもなく殿様の御定紋入りの羽織など着くさって、おれがここに控えておれば、金蔵破りのほうはいっさい心配はいらぬと大仰《おおぎょう》な頬桁《ほおげた》をたたいておったのを、わしはたしかにこの耳で聞いたぞ。これでも言いぬけする言葉があると申すか、不敵なやつめ」
 顎十郎は、さすがに酔いもさめてし
前へ 次へ
全15ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング