をおかず、すぐにうなずいて、
「長崎屋さん、あなたのおっしゃる通りだ。……じつは、わたしも、さっきからその点に気がついておりました。……こりゃアたしか、威《おど》かしなんです。……そうだとすると、少々おとな気ないですな。こんな奇術のようなことをやって見せて、われわれが驚くと思っているんなら浅墓な考えだ。……わたしは、いつか両国で、切利支丹《きりしたん》お蝶の白刃潜《しらはくぐ》りというのを見たことがあります。……軍鶏籠《とうまるかご》の胴中へ白刃を一本さしこんでおいて、それを、こっちから向うへ抜けるんですが、あのくらいの芸があれば、今晩のようなことはわけなくやってのけるでしょう……してみりゃア、埓《らち》もないはなしです。こんなものに恐れる必要はちっともありゃしません」
 白刃《はくじん》をふるって斬りこまれたり、闇討ちに遭いかけたことは、これまでたびたびあったことだし、そう言われれば、なるほどこれくらいの威かしに今さらびくつくこともいらないわけで、ほかの四人も、もっとも、とうなずいたが、それでも、なにか心の隅に、結んでとけぬ暗い思いがあった。
 そうするうちに、町与力の一行がやって来た。
 検屍が済んでから、ひとりずつ別間へ呼ばれて取調べを受けたが、さっきも言ったように、五人ながら円卓から離れなかったということはお互いがよく知っているので、おのおのの申し立ての符節があい、このまま引きとって差しつかえないということになった。
 検屍がすんだのは、ちょうど七ツごろで、もう東の空が白みかけている。
 雨あがりの上天気で、きょうもさぞ暑くなりそうな、雲ひとつない曙《あけぼの》の空に、有明月《ありあけづき》が残っている。
 なにしろ、ずっと夜あかしで、それに、気を張りづめだったから、さすがに疲労をおぼえて、これから駕籠に揺られて帰る気はない。
 船にしようということになって、長崎屋だけをひとり寮に残し、仁科、日進堂、和泉屋、佐倉屋の四人が三囲《みめぐり》から舟に乗り、両国橋の下をくぐって、矢の倉河岸の近くまで来たとき、佐倉屋が、ちょっと、と言って艫《とも》へ立った。
 艪《ろ》を漕いでいた佐吉という若い船頭が、
「旦那、おつかまえしましょうか」
 と、立ちかかるのへ、
「なアに、大丈夫」
 と、こたえて、ゆっくりと小用をたしていたが、やはり疲れていたのか、うねりで船がガクと
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