ついこのごろ眉を落したばかりと見え、どこか稚顔《おさながお》の残ったういういしい女房ぶり。
ときどき眼へ手を持ってゆくが、それもほんの科《しぐさ》だけ。悲しそうな顔はしているが無理につくったようなところがあって、どうもそのままには受けとりにくい。
顎十郎は、そっとひょろ松の袂をひいて、
「あそこの赭熊《しゃぐま》の女のとなりで大数珠《おおじゅず》をくっているのは、あれは、いったい誰の女房だ」
「あれが、さっきお話した弥之助の女房です」
顎十郎はなにを考えたか、ツイと金兵衛の門口からはなれると一ノ橋をわたって両国のほうへ引っかえし、相生町《あいおいちょう》の『はなや』という川魚《かわうお》料理。座敷へ通って紙と筆を借り、なにかサラサラと書きつけると封をして、
「こいつを、つかい屋にお静のところへ持たせてやってくれ。……それから、お前には頼みがあるんだが……」
「どんなことでございます」
「ちょっと思いついたことがあるから、御船手の組屋敷と伝馬町の牢屋敷へ行って、十九日の朝、島送りの七人をどこの河岸から艀舟につんだか、しっかり念を押して来てくれ。くわしい話はあとでゆっくりする」
海生霊
顎十郎は、遠慮のない口調で、
「……じゃア、サックリしたところをおたずねしますがね、お静さん、あなたのご亭主の弥之助さんは、いったいどこに隠れているんです」
お静は、眼を見はって、
「なにを途方もないことを。……弥之助は、十九日の朝がた、相模灘でゆくえ知れずになってしまいました。つまらない冗談はよしてくださいまし」
「三年も惚れあってようやく一緒になった大切な亭主。かばいだてするのは無理もないところだが、それではかえってためにならない。あなたがいくら隠したってこっちにゃアちゃんとわかっている。……ねえ、お静さん、あなたは弥之助から無事に生きているから心配するなという手紙を受けとったでしょう」
お静は、えッと息をひいたが、すぐさり気ないようすになって、
「なにかと思ったらくだらない。聞いていれば、さっきから妙に気障《きざ》な話ばかり。……貰えるものなら冥土《めいど》からでも、便りをもらいたいぐらいに思っていますが、死んだひとが手紙を書こうわけもなし……」
顎十郎は笑い出して、
「冥土からとどくわけのない手紙を見て、いそいそとここへやって来なすったのはどういうわけ
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