い》ぎわに突っ立って、
「いよう」
 と、ひともなげな挨拶をすると、遠慮もなくズカズカと入りこんで来て、叔父のよこへ大あぐらをかく。
 庄兵衛は、顎十郎の声を聞きつけると、どうしたのか、ひどくあわてふためいて、あたふたとありあう本で文机のうえのものをおおい隠すと、三白眼をつりあげ、大きな眼鏡ごしに顎十郎の顔をにらみあげながら、
「いくらいっても聞きわけがない、叔父にむかって、いよう、などという挨拶があるか。……たしなまッせえ、この下司《げす》ものめが」
 顎十郎は、空吹く風と聞きながし、
「ときに叔父上、あなたもめっきりお年をとりましたな、そうしてションボリと文机のまえに坐っているところなんざ、まさに大津絵《おおつえ》の鬼の念仏。……いつまでもじゃじゃばっていられずと、はやくお役御免を願って、初孫《ういまご》の顔を見る算段《さんだん》でもなさい」
 庄兵衛は、膝を掻きむしって、
「またしても、またしても、言わしておけば野放図《のほうず》もない。毎朝三百棒をふるこのおれを、老いぼれとはけしからぬ。……これこのおれの、どこが老いぼれだ」
 まるで、こんがら童子が痙攣《ひきつけ》たような顔をしていきり立つのを、顎十郎は相手にもせず、
「まあまあ、そうご立腹をなさるな。……それはそうと、いまさっき、なにかしきりにコソコソやっていられたが、贋金《にせがね》でもつくっていたのですか」
 庄兵衛はうろたえて、
「ぷッ、冗談にもほどがある。……出まかせをいうのも、ほどほどにしておけ」
「てまえが入って来ると、あわてて本でかくしなさったようだが、いったい、なにをしていらしたんです」
 庄兵衛は、いよいよもって狼狽し、からだで文机をかくすようにしながら、
「ええ、なにもしておらぬともうすに」
「そんなら、その本をとってお見せなさい」
 といいながら、文机のほうへ手をのばしかける。
 庄兵衛は、やっきとなって、顎十郎の手をはらいのけながら、
「これ、なにをする……横着《おうちゃく》なまねをするな……寄ってはならんともうすに」
「いいからお見せなさい」
「ならん、ならん」
 揉みあっているところへ、庄兵衛の秘蔵ッ娘《こ》の花世が入ってきた。
 ことし十九になる惚々するような縹緻《きりょう》よしで、さすが血すじだけあって、こだわりのない、さっぱりとした、いい気だてを持っている。顎十郎とは、こ
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