浅草田圃《あさくさたんぼ》に夕陽が照り、鳥越《とりこえ》の土手のむこうにならんだ蒲鉾《かまぼこ》小屋のあたりで、わいわいいうひと声。
 見ると、小高いところに立って、ああでもない、こうでもない、といって指図しているのが例の権柄面《けんぺいづら》の藤波友衛とせんぶりの千太。
 いかに非人《ひにん》の寄場《よせば》といいながら、よくもまあこうまで集めたと思われるほど、五つから七つぐらいまでの乞食の子供をかずにしておよそ五十人ばかり。こいつを一列にずらりとならべて松王丸《まつおうまる》もどきに片っぱしから首実験をして行く。鼻たらしや、疥癬《しつ》頭、指をくわえてぼんやり見あげていたのを、せんぶりの千太が顎の下へ手をかけて、まじまじと覗きこむ。『菅原伝授手習鑑《すがわらでんじゅてならいかがみ》』の三段目じゃないが、いずれを見ても山家育《やまがそだ》ち、どうにもとり立てていうほどの面相はない。
 せんぶりの千太は、すっかり厭気《いやけ》がさしたと見えて、
「仏の顔も日に三度じゃない。乞食の面ばかりこれでものの三日、朝から晩まで見つくしてどうやら気が変になりました。ひどいもんですねえ、家へ帰りますと、せがれの面まで白痴《こけ》面に見えてうす汚なくてたまらない。いったいいつまでそんなことをやらかそうというんです。お願いできるなら、あっしゃもうこのへんで……」
 藤波は三白眼をキュッと吊るしあげ、
「このへんでどうしたと。……言葉おしみをしねえで、はっきり言って見たらどうだ」
 毎度のことだが、今日はまたいつもよりよっぽど風むきが悪い。噛みつくような口調で、
「つまり、よしてえというんだろう。厭になったというんだろう」
「えへへ、そういうわけでもないんですが……」
「家老の石口十兵衛のほうじゃ、顎十郎のところへ駈けこんだことがわかってる。古河の十二万五千石がどうなろうと、俺にゃ痛くも痒《かゆ》くもねえが、こんなふうに鍔ぜりあいになった以上、どうして後へひけるものか。寄場はおろか、橋の下、お堂の下をはいくぐっても、その小童《こわっぱ》をさがしだし、あいつに鼻をあかしてやらなけりゃアおさまらねえのだ」
「へい、ごもっとも」
 藤波は険悪にキッと唇のはしを引きしめ、
「ごもっとも。なにがごもっとも。……なア千太、あの顎化けが、けさ俺のところへ送りつけてよこした手紙を、貴様も読まなかったわけじゃなかろう。……あなたのなさっていることは、まるっきりの見当ちがい、いかにもお気の毒に存ずるから、ちょっと御注意もうしあげる。……なにをいやあがる。あしらっておきゃあ好い気になりゃあがって、自分天狗の増上慢《ぞうじょうまん》。放っておいたら、どこまでつけあがるか知れやしねえ、こんどこそはギュッという目にあわせて、申しわけがございませんの百辺も言わしてやるつもりなんだ。俺にしちゃ大事な瀬戸ぎわ、汚ねえの候なんぞと言っちゃいられねえ。厭なら俺ひとりでやるから、お前はもう帰ってくれ」
 千太は手で泳ぎだして、
「じょ、じょ、じょうだんじゃねえ。ここで追っぱらわれたんじゃ、今までの苦心も水の泡《あわ》、あっしの立つ瀬がねえ。あの顎化けを見かえしてやると言うなア、あっしにしたって長いあいだの念願。いままでやらしておいて、帰れはねえでしょう。旦那、そりゃあ殺生《せっしょう》ですよ。なるほど愚痴は言いましたろう、が、いわばそいつは合《あい》の手。ちっとぐらいぼやいたって、なにもそうむきになって、お怒りなさらなくとも」
 藤波はせせら笑って、
「泣くな泣くな、乞食の餓鬼が貴様のつらを見て笑ってる。そういう気なら、無理に帰れたあ言わねえ。もうわずか、あと三十人ばかり、ひとつ精を出してやっつけようじゃないか」
「へえ、ようござんす」
 千太はいまいましそうに舌打ちをしながら、乞食の子のほうへ寄って行き、似顔絵とてらしあわせながら、ためつすがめつまた首実験をはじめる。藤波のほうも、高見になったところに棒立ちになって、これも油断なく、非人の子のそぶりを凄い目つきで睨《ね》めつけている。
 そこへ、土手のむこうから、
「おウ、藤波さん」
 という声。
 振りかえって見ると、のっそりと堤のむこうから出て来たのが顎十郎。しゃくるような薄笑いをしながら、二人のほうへ近づいて来て、
「ほほう、やってますな。さすがお顔がひろいだけあって、だいぶさまざまなのをお集めですな。枯木も山の賑わいじゃあないが、非人の餓鬼もこれだけ集まると、ちょっと見ばえがする。なかんずく、右手から二番目にいるのなんざあ、あなたと生写し。いわゆる御落胤《ごらくいん》とでもいったようなものなんですかな。ほれほれ御覧なさい。血統《ちすじ》は争われないもので、三白眼でこっちを睨んでいます」
 と、ぬけぬけとひとを小馬鹿にし
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