しておりましても、万一を思われて、気もそぞろになります」
血走った眼で、列についている人びとを見まわし、
「お並びのご一統には、この通り……」
丼を持ったまま、地面に片膝をつき、
「……この通り、お詫びをもうす。……なにとぞ、手前勝手を……」
番衆は顔をしかめて、
「そんなところに膝をつかれては困る。……順々ときまったことだから、順のくるまでお待ちなさい」
「では、これほど、お願いをしても……」
「あんたも、くどい」
「どうでもお聞き入れくださらぬとあれば、やむをえぬ、……列にもどります。……ご無礼もうした」
うっすらと涙ぐんで、うなだれがちにトボトボと根津上のほうまでもどって行く。
そうするうちに、ようやく氷があがり、先頭のほうから順に氷室のほうへ動きだす。
氷室の前では、氷見《ひみ》の役人が十人ばかり金杓子《かねじゃくし》を持って待っていて、順々に差しだす丼や蓋物におあまりの氷をすくっては盛りこんでやる。
「さあ、お次お次……」
貰ったものは喜んで、
「どうもお手かずさま、ありがとうございました」
と、礼を言い、丼を袖や袂でおおいながらいそいそと小走りにもどって行く。
くだんの浪人者は、気もそぞろのふうで、のびあがり、肩で息をしながら、雪をいただいて帰る人びとを羨《うらや》ましそうに見おくっている。
門からあふれだし、弥生町の通りを根津までギッシリと四列につづいている人数だから、たいへん。なかなか順番がやって来ない。
それから四半刻、冷汗をかき、焦立つ胸をおさえながらジリジリと進んで行くうちに、どうやら氷室の近く。……あと四人で自分の順番がくる……。
前のひとりが去り、またひとり。……ようやく、待ちこがれた自分の番。
帷子の袖で汗をぬぐいながら、顫《ふる》える手で丼をさしだし、
「どうか、手前にも……」
氷見役は、金杓子をふって、
「お雪は……もう、ない」
「な、なんと言われる」
「お雪は、いまで、みなになった」
浪人者はクヮッと眼を見ひらいて、
「……では、もう……」
「気の毒だった」
「……ほんのひとかけらでも……」
「いや、ひとかけらもない。……今年は、特別に暑気がはげしく、おかこい氷が半分がた溶けてしまったところへ、例になくお貰いの人数が多く、氷室は、ごらんの通り土ばかり。……来年は、もうすこし早目にお出かけなさい」
「そ、
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