るほど……ひッ」
「……ご承知の通り、勘定所へは毎朝、五ツに奉行がひとり出所しておおよその庶務をとり、九ツにお城へあがるのが毎日のきまりなんですが、その日も例の通り、朝早くお当番がひとり出て、きのう金座から届いた二十万両のうち小口の千両箱を二つ三つ持ちださせて、お役儀《やくぎ》までに改めて見ると、小判どころか錆釘《さびくぎ》や石ころがギッシリとつまっている。……これは、と驚いて、急に下役を呼びあつめ、きのう届いた二十万両、片ッぱしから蓋をあけて調べて行くと、万両箱のほうには変りはないが四十の千両箱のうち三十二だけが、これがみんな古釘……」
「うむ……うむ」
「つまるところ、石船に衝きあてられたほんのちょっとしたドサクサのあいだに、掏りかえられたのにちがいない。……それはそれとしても、なにしろもう朝がけ、川には荷足も数多く、ひと目もある中で、どんな方法でそんな素早いことをやりやがったものか。……金高も金高ですが、やりかたがあまりにも不敵。お上の御威勢にもかかわることですから、浅草の橋場《はしば》と中川口《なかかわぐち》のお船改番所《ふなあらためばんしょ》の関所をしめ、下り船の船どめをして一艘ずつ虱《しらみ》つぶしに調べあげているんですが、いまだに、なんの手がかりもねえようなわけなんで……。それでね、阿古十郎さん……」
返事がないので、のぞきこんで見ると、顎十郎、膝に手をついたまま鼾《いびき》をかいて眠っている。
金座《きんざ》
金座は、俗に、お金改所《かねあらためどころ》ともいって、いまの造幣局《ぞうへいきょく》。
日本橋、蠣殻町《かきがらちょう》二丁目にある銀座が分判銀《ぶばんぎん》、朱判銀《しゅばんぎん》を鋳造するのにたいして、金座のほうは大判、小判、分判金《ぶばんきん》を専門に鋳造する。
江戸金座は元禄のころまでは、手前吹き、つまり下請《したうけ》制度で、請負配下が鋳造した判金を、金銀改役|後藤庄三郎《ごとうしょうざぶろう》が検定|極印《ごくいん》をおして、はじめて通用することになっていたが、元禄八年に、幕府の財政の窮迫を救うため、時の勘定奉行|萩原近江守《はぎわらおうみのかみ》が、小判の直吹《じかぶ》き制度を採用することになり、本郷霊雲寺わきの大根畑(地名)に幕府直属の吹所《ふきどころ》(鋳造所)をつくり、諸国の金座人をここへ集め、金座を芙蓉《ふよう》の間詰《まづめ》、勘定奉行支配下においた。
元禄十一年に、金座を日本橋|本町《ほんちょう》一丁目、常盤橋わきに移し、明治二年に造幣局が新設されるまでずっとその位置にあった。
金座は、奥行き七十二|間《けん》、間口四十六間の広大な地域をしめ、黒板塀をめぐらして厳重に外部と遮断し、入口のお長屋門は日没の合図とともに閉じられ、以後、ぜったい出入禁止の定めになっていた。
黒板塀の地内には、事務所にあたる金局《きんきょく》、鋳造所の吹所、局長の官舎にあたるお金改役御役宅、下役、職人の住むお長屋と四つの廓《くるわ》にわかれ、いまの日本銀行のあるところが後藤の役宅で、金吹町《かねふきちょう》のあたりにお長屋の廓があった。
金局には、一口に金座人という改役、年寄役、触頭《ふれがしら》役、勘定役、平《ひら》役などの役づきの家がらが二十戸ほど居住し、金座人のほかに座人格、座人並、手伝い、小役人などという役があった。
吹所には、吹所|棟梁《とうりょう》が十人、その下に棟梁手伝いがいて、約二百人の職人を支配していた。
金座の仕事は、第一に、小判、分判の金吹で、幕府の御手山《おてやま》、その他、諸国の山から出る山金を買入れて小判をつくるが、そのほかに上納金の鑑定封印、潰金《つぶしきん》、はずし金の買入れ、両替屋から瑕金《きずきん》、軽目金《かるめきん》をあつめて、これを改鋳する仕事もした。
吹所の一廓は、吹屋、打物場《うちものば》、下鉢取場《したはちとりば》、吹所棟梁詰所、細工場《さいくば》、色附場《いろつけば》の六|棟《むね》にわかれていた。
小判吹きはなかなか手のかかるもので、まず位改《くらいあらため》といって、金質の検査をし、その後に、さまざまの金質のものを一定の品位にする位戻《くらいもどし》ということをやり、砕金《さいきん》といって地金《じがね》を細かに貫目を改め、火を入れて焼金《やきがね》にし、銀、銅、その他をまぜる寄吹《よせぶき》の工程をへ、それから判合《はんあい》、つまり、品質を決定し、それを打ちのばして延金《のべきん》にし、型で打抜き、刻印を捺《お》し、色附をしてようやく小判ができあがる。
金局では、一枚ずつ改めて包装し、千両、二千両箱におさめてこれを金蔵へ収納する。
なにしろ通貨をあつかう場所なので、金局の平役以下、手伝い、小役人、吹所の棟梁、
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