、あのわずかなあいだ、しかも朝がけ、ひと目のたくさんあるなかで三十二の千両箱をすりかえるなんてえ芸当ができるわけのもんじゃない。……すると、どういうことになる。……三十二の千両箱は、石船ですりかえられたんじゃなくて、金座をでる前にもうそうなっていたんだと考えるほかはない。……言うまでもなく、あの事件の後前《あとさき》にはすりかえができるような、そういう隙は一度もなかったから。……賊は、実は金座の中にいるので、それを外部の事件と見せかけるために、ああいう手のこんだことをやった。……そういう見せかけの事件をつくろうとしたことが、逆に、事件はすでに金座の中にあったのだということを裏書することになるんですな。……では、どんな工合にしてやった?……聞くところでは、一度、小判に極印を打って包装して千両箱におさめ、これを金蔵に収納すると、一年一度しか金箱のなかを改めない。……そのくせ、金蔵方は無造作に、しょっちゅう金蔵に出たり入ったりしているんです。……すこし気長にかまえさえすれば、毎日すこしずつ千両箱の中身を古釘にすりかえるくらいなことはいくらだってできる。一日に百両づつみ二包みずつ掏りかえて行ったとしても、わずか半年で千両箱の三十ぐらいは空になる」
「いかにも!」
「……そこで、その金はどうした? 最初のうちならともかく、おいおい金高が多くなれば、ちょっとやそっとの場所へ匿《かく》しておけるもんじゃない。……無理に通用させるからこそ十両は十両で通るが、天保の改鋳以来、金分はほんの二分。……そんなものを金座の人間ともあろうものが、後生大事にかかえちゃいない。……吹屋の棟梁《とうりょう》と結託《けったく》して小判を吹きわけて純金分だけにしておけば、ほんのわずかの量ですむ。……まあ、手前はこう睨んだ。純金分にすると、なるほど金目はへるようだが、何年か後に、どこかの山の中へでもこっそり吹屋をつくって、元の小判に吹きかえればいいわけ。餅屋は餅屋で、そんなことはわけはない。……ところで、それにしたって、それだけのものを金座のなかへ匿しておくというのはあぶない。なんとかして、そとへ持ちだしたいと思うでしょう。その末、思いついたのがつまり烏凧。……ねえ、藤波さん、金座の烏凧にかぎって、ひどく重みがついていて、なんとなく高くあがれずに下まわるのはそのせいです。……そして、また、小田原町のとんび凧が下廻る烏凧ばかりねらうのも、じつにそのせいなんです」
 藤波は、さすがに我を折って、
「いや、これはどうもなかなかのご明察」
 顎十郎はかくべつ手柄顔もせず、
「論より証拠、ひとつ、分捕ってその実体をお目にかけますかな」
 自分のからす凧を手ぢかの金座の烏凧のほうへむけて行き、雁木にからませてグイと引っきり、スルスルと手もとへひきよせ、つかんで来た烏凧の竹の骨を両手でへしおると、竹の骨のなかでキラリと光った黄金色《きんいろ》の細い線。……小判を純金に吹きわけて、金の針金にして凧の竹骨のなかに忍ばせてあった。
 顎十郎は、へへん、と笑って、
「……さあ、藤波さん、早く行って小田原町のとんびをみんな召捕っておしまいなさい。早くしないと、空へ逃げてしまいますぜ。……それから、金蔵方の石井宇蔵、ほかに吹屋の棟梁がひとり……」



底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]」三一書房
   1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月11日作成
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