そのうちに一度お挨拶《ちかづき》にあがって、ご自慢の喉を聞かせていただきたく存じていた、……こと、れろれろと舌をもつらせながら取りとめもなくしゃべり立てると、族長《カボラル》は、
「どれほど御滞留になるか、それだけうかがえば結構でごわす」といい放った。タヌは進み出て、コニャックを注ぎ、腸詰、乾酪の類を持ち出してところ狭いまでに並べながら、
「まったく、一生でも住みたいくらいですよ。もう何から何まで気に入ってしまいました」と答えると、族長《カボラル》は、
「いや、わかりましたじゃ」といって、薄い唇の上に生えた見事な八字髯をひねりながら部屋を見廻していたが、
「以前《もと》はそのへんにいろいろな飾り物がごわしたが、あれはなんとなりました」とたずねた。
「みんな物置きへほうり込んでありますわ」
「ほほう。……鳩が二羽足らんようじゃが……」
「あら、いただいてしまいましたわ。あの一羽は時計の代りに取ってありますの」
「結構ですじゃ。……それから姫鱒の乾物はなんとなりました」
「鱒もいただきましたよ」
すると族長《カボラル》は、腕組みして何か考えていたが、やがて、急に腕を延してたて続けにコニャックをあおりつけてから、
「さぞ美味でごわしたろう」と、凄味《すごみ》のある声でいった。
「あら、お望みでしたら、まだ残っていますからお持ちくだすっていいですわ。ねえ、コン吉、まだ半分くらい残っていたわねえ」
「あります、あります。ちょっと待ってください」
と、いって、コン吉は戸棚の中から、無惨にも胴切りにされた鱒を持ち出して族長《カボラル》の前に置いた。族長《カボラル》はしきりにその頭をひねくり廻していたが、
「さようならばこれはちょうだいいたす。……それから念のために申し上げるが……」といって、この小屋は非常に不吉な小屋であって、この借り主は代々非業の最後を遂げること。一人は寝床で胸を刺されて死に、一人は石垣のそばに坐ったまま頭を射抜《いぬ》かれていたこと、以来とかく遺憾千万な出来事が引き続いて起こったようなわけであるから、生命《いのち》が惜しいと思ったら、今のうちに引きあげられるほうが賢明なやり方であること、こんな事を申しあげると当部落の恥辱、かたがた族長《カボラル》たる自分の不名誉でもあるのだが、御両所の生命に関することだから、包まず右まで申し上げる次第である、と語った。それ
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