6 は陥落した。卓《タアブル》の主任《シェフ》は旋回盤《ルウレット》におおいを掛け、その上に薔薇を飾って『お祝い』した。
 九、春先の地中海の名物は『西北風《ミストラル》』。モンテ・カルロ第一という巴里旅館《オテル・ド・パリ》の豪奢な居間にこもりっ切りになって、四五日前から、沈鬱な顔をして額を押えながら、「西北風《ミストラル》が来る! 西北風《ミストラル》が来る!」と、公爵がいっていた通り、果してその日の正午《ひる》ごろから、ものすごい勢いで西北風《ミストラル》が吹き出した。
 公爵は朝から社交廊《ロビイ》と居間の間をそわそわ歩き廻っていたが、
「ちょいと拝借」と、いって、千|法《フラン》札で二十五万法を入れたタヌの|手提げ《サッカ・マン》を持ったまま、ひょろりと戸外《そと》へ飛び出していってしまった。コン吉とタヌは、公爵がまた西北風《ミストラル》に乗って大勝して来るのだろうと、大いに期待していると、二時間程ののち、オテルの室付給仕《パレエ》が、息せき切って二人の部屋に駆け込んで来た。
「大変だあ! 早く行っておつかまえなさいまし! 公爵が千法札を、まるで売り出しの引札《ちらし》のように他人《ひと》に配って歩いてますぜ! 遊楽館《カジノ》の『鳩打ち場』の横んとこでサ!」



底本:「久生十蘭全集 6[#「6」はローマ数字、1−13−26]」三一書房
   1970(昭和45)年4月30日第1版第1刷発行
   1974(昭和49)年6月30日第1版第2刷発行
初出:「新青年」
   1934(昭和9)年4月号
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2009年10月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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