たいなにから来る感じなのであろう。どういう不思議な遠近法によるのか、その気になれば、わけもなくスラスラと、その中へはいってゆけそうな気だった。
 キャラコさんは、魅《まど》わされたようになって、茫然とその絵を眺めていた。

     二
 この絵のおかげで、ドイツ語の先生のところへ行く往復《ゆきかえり》が、一層楽しいものになった。
 その絵の前に立つと、魔法の世界でも眺めているような、なんともいえぬ奇妙な感じがひき起こされ、催眠術にでもかけられたように、ぼんやりした眠気《ねむけ》に襲われる。
 それにしても、少女の横顔をながめている青年の眼差しの、なんと深いこと。春の海のようにゆったりとしていて、優しさと単純さに満ちている。二人の面《おも》ざしがよく似通っているから、たぶん、これは兄妹なのだろう。
 長椅子のうしろに立っている青年は、この絵をかいた画家の自画像なのに違いない。しっとりとしたこの部屋のなかで繰り返される兄と妹のやさしげな日常が、香気《こうき》のように画面のなかに漂っているのである。
 この画面にあらわれているのは、二人の生活のほんの一部分でしかないが、ただこれだけで、この二人が、互いにどんな信頼し合い、愛し合っているかよくわかる。この二つの顔のなかには、意地悪や、憎しみのかげなどは露ほどもなく、正直と、愛情と、親切だけが輝いているように見える。
 キャラコさんは、いい友達を沢山持っている。イヴォンヌさんにしろ、従姉妹《いとこ》の槇子《まきこ》や麻耶子《まやこ》にしろ、日本女学園のやんちゃな五人組。……また、叔父の秋作や立上《たてがみ》氏。いま、ちょっとした過失の贖罪《しょくざい》をしているあの気の弱い佐伯氏。丹沢山《たんざわやま》で会った篤実《とくじつ》な四人の学者たち。それから、小《ち》っちゃなボクさん。
 みな、心のやさしい、親切な人たちばかりだが、どうしてかしら、この絵の青年にたいするような、溺れるようなふしぎな愛情や憧憬《どうけい》をいちども感じたことはなかった。
「ほんとうに妙だわね。……いったい、どうしたというのかしら」
 ともかく、その絵の前に立つと、理窟なしに心が弾《はず》んで来てどうすることもできない。自分でも、すこし妙だと思うけれど、ひとりでに顔が笑い出して、
「こんにちは、ごきげんいかが?」
 と、われともなく、つぶやいてしまう。
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