めていると、時の歩みをしずかにふりかえっているようで、なんともいえないほのかな気持になる。
そればかりではない。セエブル焼きの置時計の細かい唐草模様のなかに隠されている貴婦人や農夫や、フランダースの飾り皿の和蘭《オランダ》の風景や、鯨に銛《もり》をうっている諾威《ノルウェー》の捕鯨船の図などに眼をよせて眺めると、今まで見落としていた小さな花々や、浮雲や、遠い風車や、波の間で泳いでいる魚などを、見るたびに、その中で、新しく発見する。
キャラコさんは、夢中になって、つい、こんなふうに叫んでしまう。
「あら、あそこに、あんな花が隠れていたわ。……まあ、なんてかあいらしいこと!」
キャラコさんは、この楽しみを自分ひとりだけのものにして、そっとしまっておいた。独逸語の先生のところへの往復《ゆきかえり》、この飾窓の前に立つ十五分ぐらいの時間が、長い間、キャラコさんのひそかな楽しみになっていた。
ちょうど、ボクさんの両親の和解が成り立ってから十日ほど経った朝、学生鞄《ブーフザック》をブラブラさせながら、いつものように飾窓《ショウ・ウインドウ》のガラスに額をおっつけて中をのぞいてみると、この二週間ほど見なかったうちに、窓の中のようすがすこしばかり変わっているのに気がついた。
写字机《ビュウロオ》と置《おき》戸棚の間にあった三稜剣《エペ》が壁の隅のほうへ寄り、前列にならんでいたジャヴァの土壺《つちつぼ》がすこしばかりうしろへひきさげられ、そのかわり、今までは横側しか見えなかった油絵が、正面に向きかえられている。
それは、二十五号ほどの、一見、平凡な絵だった。
うす暗い部屋の隅の、朽葉《くちは》色の長椅子に、白い薄紗《ダンテール》の服に朱鷺《とき》色のリボンの帯をしめた十七、八の少女が、靴の爪さきをそろえて、たいへん典雅なようすで掛けている。
憂鬱《メランコリック》な、利口そうな顔だちで、左手を長椅子の肘に掛け、右手は、泡《あわ》のように盛りあがった広い裳裾《もすそ》のほうへすんなりと垂らしている。
長椅子の向う側に、紫の天鵞絨《びろうど》の上衣に、濃い黄土色のズボンをはいた二十五、六の青年が、背もたせのうえに両膝をつき、おだやかな眼差しで少女の横顔を眺めている。
長椅子の横に、粗石《あらいし》を積み上げた大きな壁煖炉《シュミネ》があり、飾棚《マントルピース》の上に
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