家庭的にたいへん不幸なひとらしく、保羅《ぽうる》という、やはり混血の兄がひとりいるということのほか、自分の家庭についてはなにひとつ話さなかった。家も横浜にあるというだけで、横浜のどこに住んでいるのか誰れにも知らさなかった。
 級《クラス》では、礼奴《れいぬ》さんがお母さんと二人で、横浜の海岸通りで酒場《バア》をやっているのだという噂が伝説のように信じられていた。
 身振りや、言葉のちょっとしたいい廻しのなかに、相手をどきっとさせるような、大胆な、人ずれのした調子があった。いつもものうそうにして、しょっちゅう遅刻したり休んだりした。礼奴さんには女学校でやっているようなことは、つまらなくてやり切れないのらしかった。
「退屈で死にそうだわ。女学校の教師なんてみな馬鹿ばかりね」
 などといったりした。
 二年の進級試験が終わった朝、礼奴さんが校庭の入口でキャラコさんを呼びとめて、
「あたし、カナダの叔父にひきとられることになったのよ。あなたとも、これでお別れだわ」
 と、いつになくしみじみとした調子で、いった。
 一年ほど経ってから、礼奴さんがカナダのヴァンクゥヴァから短い便りをよこした。
 
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