る。コッフェルの蓋《ふた》には、薄い褪紅色《たいこうしょく》の木の実のようなものが山盛りになっている。……スープから|食後の果物《デッセエル》までのいろいろな喰べものが、蝋燭の光の中で鮮かな色をしておし並んでいた。丹沢の奥の、窓ガラスもないような破小屋《あばらごや》の中に、こんなめざましいご馳走が並んでいるなどというのは、まるで、夢の中の出来事のようだった。
 原田氏が、おびえたような顔で、
「これは、たいへんだ」
 と、つぶやいた。
 黒江氏は、感動して何かいいかけて、ひどく咳にむせんだ。
 三枝氏は、小さな眼をパチパチさせながら呆気《あっけ》にとられたようにぼうぜんと食卓の上をながめていたが、顔をふりあげてキャラコさんの顔をみつめると、低い声でたずねた。
「これは、いったい、どうしたというご馳走なんですか?」
 どういう手段と経過によって、こんな思いがけない結果に到達したのか、そこのところが知りたいという学者らしい好奇心を起こしたのだった。
 キャラコさんは、額ぎわまであかくなって、夢中になって説明した。
「……分析皿の魚は川にいた虹鱒を、乾麺麭《かんパン》をくだいた粉《こ》にまぶして油で揚げたもので、このサラダは、沢に生えていた水芹《クレッソン》を酢と油であえたものですわ」
 三枝氏が、納得しない顔をした。
「でも、こんな山ン中で、フライの油などあるわけはないが……」
「それはね、測量機械をふくオリーブ油を少々拝借したのですわ」
「ほほう。……それで、酢なんかは?」
「分析の実験にお使いになる酢酸を、ひとたらしほど拝借しましたの」
「なるほど!」
「いけませんでしたかしら……」
 三枝氏は、へどもどしながら、
「いや、結構です、結構です。……いけないなんてことはない。毒薬でさえなければ、何を使ってくだすっても結構ですが、それはそうと、この蟹《かに》と海老《えび》の合の子のようなのは、いったい何者ですか」
「これはね、有名な蜊蛄《ざりがに》よ。……日本の食通がひどく珍重するんですって。あたし、日本アルプスの山のホテルでいちどいただきましたわ。となりのテーブルにフランス人がいましてね、これが皿に盛って出ると、エクルビース、エクルビース! といって夢中になってよろこんでいましたわ。フランスでも、たいへんいきなものになっているんですって。……でも、どんなふうにお料理す
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