ていらっしゃるの」
「お気の毒だと思っていますわ」
「おや、たったそれだけ?……ほんとうのことをいってくださいね」
「あたし、嘘なんかいったことはありませんわ」
 茜さんは、ふん、と鼻で笑って、
「自慢らしくいうわね。だいたい、嘘のある齢《とし》でもないじゃないか。あんたなんか、まだ子供だわ。……でも、あんたは別なのかも知れない。……ねえ、かくさずにいってちょうだい。あんた、兄に対して何か特別な感情を持っているんじゃない?」
 キャラコさんは、ゆっくりとかんがえてみる。
 どう考えても、特別なんてことはないようだ。佐伯氏にたいする愛の感情は、秋作氏や立上《たてがみ》氏にたいするそれとちっとも変わりがないように思う。ただ佐伯氏のほうはたいへん不幸なので、どんなことでもして慰めてあげたいという、すこし別な気持が加わるだけのことである。
 キャラコさんは、微笑しながらこたえた。
「特別な感情なんかもっていないようよ」
「じゃ、なぜ、あんなにしつっこく兄をつけ廻すの」
「あなた、考えちがいをしていらっしゃるんだわ。あたし、本を読んであげたり、お話をしてあげたりしているだけなの」
「それ、本当でしょうね」
「本当よ」
「誓うことができて?」
「ええ、誓ってもいいわ」
「そんなら、それでいいから、じゃ、もうこれっきり兄に逢わないようにしていただきますわ」
「あら、なぜでしょう」
 茜さんは、マジマジとキャラコさんの顔をみつめながら、吐きだすように、
「汚《けが》らわしいからよ、あんたのようなひと」
 そばへ寄ってもらいたくないというふうに、殊更《ことさら》らしいしぐさでとなりの幹に移ると、それに背をもたせながら、
「ご存知ないかもしれませんけれど、あたしの一族は純血《ピュウル・サン》なのよ。……だから、あんたのような、うしろぐらいところのある下等なひとはそばへ寄せつけないことにしてあるの。膚《はだ》がけがれますから。……どう、おわかりになって? これでもわからなければ、あんた、すこし馬鹿よ」
 キャラコさんは、思わず立ちあがった。が、すぐ自制した。
(……すこし、頭の工合が悪いのかも知れない。どうも常態《ノルマル》でないようだわ。こんな非常識なひとのいうことにムキになったりしたら、それこそ、こっちがやりきれないことになる。……それにしても、純血《ピュウル・サン》って、なんのことかしら? 馬《うま》でもあるまいし、ずいぶん、でたらめなことをいうわね)
 キャラコさんは、馬鹿馬鹿しくなって、口をきく気にもなれなくなった。
 茜さんは、いら立たしそうに眉をひそめながら、
「なんでもいいから、兄から手をひいてちょうだい。いくらつけ廻したって、もうモノにならなくてよ」
 茜さんは美しいので、キャラコさんはたいへん好きだったが、あまり下等な口のききかたをするのでガッカリしてしまった。
「それで、佐伯氏のほうは、どうおっしゃっていらっしゃるの?」
 茜さんは、イライラと足踏みをして、
「兄のことなんか放って置いてちょうだい。もちろん、あんたのことなんか、もう問題にしていなくてよ。……兄はお人好《ひとよ》しなもんで、一向気がつかないの。……だから、あたしからよくいってやりましたわ。……あれは、たいへんなお嬢さんなのよ、って。……兄も不愉快がって、あいつ、どこかへ行ってしまわないかな、っていっていましたわ。……つまりね、あたし、兄の代理でやってきたわけなの」
 キャラコさんは、ちょっと眼を伏せた。
(なるほど! きのうに限って疏水《そすい》へやって来なかったのは、そういうわけだったんだわ)
 もちろん、よく思われようとしてやったことではないが、それにしても、こんな情けない原因で佐伯氏に逢えなくなるのは、すこし悲しかった。
 しかし、自分でなければ、佐伯氏を慰めることができないというのではないし、それに、いつまでもそばにいてあげられるというわけでもないのだから、どっちみち同じことのようである。立上《たてがみ》氏の力で、佐伯氏の視力がすこしでも回復すれば、それで自分の好意はとどくわけだ。
 茜さんは、鋭い舌打ちをひとつして、
「ねえ、お返事はどうなの」
 キャラコさんが、はっきりと、こたえた。
「もう、お目にかかりませんわ」
「逢わないっていうだけでは困るのよ。すぐあの宿から出て行っていただけるかしら?」
 キャラコさんは、素直にうなずいた。
「ええ、そうしますわ。今日じゅうならよろしいの?」
「できるだけ早くね」
 茜さんは、背伸びをするようにグッと胸をそらすと、
「……それから、あしたおいでになるというドクトルの件ね、あれ、お断わりしてよ」
 キャラコさんは、眼を見はって、
「あら、どうしてでしょう。そのかたなら、かならずお兄さまのお眼を癒《なお》して差し
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