らないことをわめきたてながら海賊のように食卓に飛びつくと、箸がくるのを待ちかねて、紅茶の匙《さじ》でご飯をすくったり、肉の掛汁《ドレッシング》を舌でなめたりした。
森川氏は有名な美食家なので、酒棚《さかだな》にはムールソオやバルザックやクレクスなんていういろいろな葡萄酒が並べられてある。
食事がすむと、梓さんの提議で、キャラコさんの歓迎の意を表するため、本式に乾杯することになった。梓さんは触れれば消えてしまうかと思われるような薄いヴェネチャの洋盃《コップ》を持ち出して来てひとりひとりの手に持たせ、もったいぶったようすで紅玉《ルビイ》のようなシャトオ・ディケムを注いで廻る。そのうしろから、キャラコさんが水瓶《フラスコ》を持って、みなの葡萄酒を、ほんのり薔薇色か、ひょっとすると、曙《あけぼの》の色くらいに薄めてあるく。
チビの鮎子さんが、音頭《おんど》をとることになって元気よく立ちあがったが、なんというのだったか忘れてしまった。鮎子さんは仏蘭西《フランス》語でやっつけたいのである。それで、となりのピロちゃんにたずねる。
「なんて、いうんだっけ!」
「ア・ラ・ヴォートル!」
「たった、それだけ?」
「あたりまえだア」
「じゃ、ね、ア・ラ・ヴォートル! ……われらの監督さんの安着を祝し、キャラコさんをわれわれのもとへ派遣した長六閣下の寛大なるご処置に感謝いたしまァす」
ア・ラ・ヴォートル! といいながらひと息に飲みほして、だれもみな、あまり美味《うま》くもないような顔をした。
画の上手なトクさんが、
「渋いや」
といって、てれくさそうに舌を出した。
「水臭いだけだ」
と、梓さんがやりかえした。おしゃまのユキ坊やが、
「でも、蓬《よもぎ》の匂いがするよ」
というと、詩人の芳衛さんが、
「あら、菫《すみれ》の匂いよ」
と、抗議した。それから、めいめいいろんな匂いを持ち出して金切り声で主張し合った。
キャラコさんも、だんだん愉快になって来て、みなと頭をくっつけ合わせて、笑ったりしゃべったりした。
窓のそとの大きな星を眺めながら、ピロちゃんのハーモニカに合わせて合唱をした。
『ロッキーに春がくれば』という歌が気に入って、いくどもいくどもくりかえして唄った。そして、みな、涙ぐんだ。
間もなく、眠くなった。
煖炉《オーフェン》のそばでごろ寝したがるのをお尻をた
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