た。
「やってみますわ」
「丸池ヒュッテの男たちに一緒に行ってもらわなくてもいいかしら」
「あたしひとりのほうがいいと思いますわ。あまり、おおげさにしないほうが」
夫人は、不安そうに、
「それもそうね」
と、いって、両手の中でギュッとキャラコさんの手をにぎりしめると、
「キャラコさん、ほんとうにお願いしてよ。あなただけが頼りなのですから」
「ええ」
「どうぞ、梓を助けてやって、ちょうだい」
キャラコさんが、強くうなずく。
「どんなことがあっても!」
おろおろと取り乱す夫人を励ますように、その腕へ手をかけてゆすりながら、元気な声で、いった。
「だいじょうぶですわ、おばさま、そんなにご心配なさらなくとも。……きっと無事に連れて帰って来ますわ。お約束してよ」
キャラコさんは、たいへん落ち着いていた。すくなくとも、表面はそんなふうに見えた。あわてふためく芳衛さんやトクさんを差図して魔法瓶《テルモス》に熱い紅茶を詰めさせ、厚い毛の下着とブランデーをルックザックにいれて背負うと、キュッと口を結んで玄関からすべりだした。
雪の上に月が照り、空も、斜面も、林も、影も、なにもかも、みな真っ青で、まるで夢幻《むげん》の世界のようだった。
六
五人は、嵐に追いまくられた小鳥のようなようすで、二階の寝室でひと固まりになって坐っていた。芳衛さんは揺椅子《ゆりいす》のなかへ沈みこみ、トクさんは寝室のはしへ腰をかけ、鮎子さんとおしゃまのユキ坊やは、しんとした夜の雪山《ゆきやま》を眺めながらためいきをついていた。陽気なピロちゃんだけは、例によって、床の上へ胡坐《あぐら》をかいてのん気な顔で西洋雑誌の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵《さしえ》を眺めている。
(梓さんが、自殺するために池のほうへ急いでいる……)
あまり唐突すぎて、どう考えていいのか、理性でも感情でもうまく処理することができなかった。
鮎子さんが、長いためいきをつく。窓ガラスに額《ひたい》をあてたまま、虫の鳴くような声でつぶやいた。
「キャラコさん、うまくやってくれるといいな。……もう、どのへんまで行ったかしら……」
陽気なピロちゃんが、ゆっくりと頁《ページ》を繰りながら、大きな声でいった。
「心配しなくとも大丈夫だよ。きっと帰ってくる」
ユキ坊やが、ふッ、と短
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