ま遺産とおっしゃったが、そんなものは存在しないのですよ。苗木の谷のウラニウム鉱山は、坂田君が水上氏から一ドルで買ったものですが、それに付随するうるさい問題があって、たいへんに紛糾した……新聞でお読みになったでしょうが、あなたがいられた麻布のウィルソンの家は、横浜税関の差押物件になり、当のウィルソンはアメリカへ送還された。パーマーはドイツへ帰るそうだし、山岸は損になることはしない男だから、これも間もなくひっこむでしょう……ここへ辿りついたのは、並々ならぬ苦労のすえのことで、その間、坂田君が悪党だと思われてもしようのないような、むずかしい時期があったのだと思ってください」
サト子は気のない調子でたずねた。
「ウラニウムの話ばかり出るようですけど、きょうは、なにかそういうことでも?」
「坂田君が、苗木の谷の鉱業権をオプションにかけるので、これからそれをやります……奥の書斎に、飯島の叔母さまがいられます。立会人として、シアトルから来た有江老人も」
「オプションというのは、二者択一の入札のことですね。オプションは、参加権料といってすごい権利金がいるものなんでしょう?」
「坂田君は、そんなものは要求していません……水上さんの長女の由良ふみ子さんと、お孫さんのあなたのふたりだけを参加権者に指定している、といったくらいのところ……むずかしいことはなにもない。あなたがこうと思う値段を紙に書いて、坂田君に手渡しすればそれでいいのです……失礼だが、その金は私に保証させていただきましょう」
サト子は、じっくりと考えてから言った。
「……ということは、あたしと飯島の叔母の争いになるわけなのね? どうしても、そうしなくちゃ、いけないんですの?」
「坂田君としては、ぜひともあなたに買っていただきたいらしい。そうできれば、水上氏の臨終のご意志も疎通するわけだから」
「山岸さんの芳夫さんが、言っていましたが、日本では父の遺産は、たとえどんな遺言書があっても、一応、直系卑属のところへ全部行くものなんでしょう? あたしは孫ですから、叔母にその気があれば、半分くらいもらえる程度で、それ以上の権利はないはずなんです」
秋川はサト子の肩に手を置きながら、
「それはそうだが、その前に、こういうことを考えてみてください……日本には、原子力を管理する、原子力委員会というようなものもない。ウラニウム輸出禁止の法
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