きながら、
「この家は、アメリカ人のやっているバア・レストランで、スウェーデン式の前菜を、アメリカ風にあちこちした、しゃれたオードォヴルを食わせるので有名なんです……アメちゃんのバイヤーたちの、たまりみたいになっているんでね」
 階下のサロン・バアで、楽士がピアノでドビュッシイの『金魚』を奏《ひ》いている。
「オードォヴルはいいけど、こんなところへ呼びだして、どうしようというわけ? いくら、あなたがオマセさんでも……」
 芳夫は、笑いもせずに、はじきかえした。
「そんなご心配はなさらないで……きょうは、まじめな商談がございますんです」
「あなたは、抜け目のないひとだから、むだに、ひとを呼びだすなんてことは、ないのでしょうけど……それで?」
「ここで坂田省吾と、掛けあいをやろうというのです。おばさまには、立会いくらいのところで、おさまっていただいて……」
 サロン・バアのピアノは、ショパンの『雨だれ』になった。氷雨の雨足にテンポをあわせるように、だるい調子で奏いている。由良は眉の間に嫌皺《いやじわ》をよせながら、
「サト子なんかもそうだけど、あなたがたの話って、いきなり、突っ拍子もなくはじまるので、あっけにとられてしまう」
 と、投げだすように言った。
「話には、順序というものがあるでしょう。アプレ式の会話っていうのかもしれないけど、わかるように話してくれなくちゃ、わかりゃしない……ここで、坂田となにをするって?」
「掛け合いをすると申しましたが、お聞きとりになれませんでしたか」
「あなたが、あの坂田と?」
 芳夫は顎《あご》をひいて、いんぎんにうなずいてみせた。由良は、相手になる気もなくなったふうで、
「聞きちがいでなけりゃ、結構だけど……掛け合いって、漫才のことですか」
 芳夫は、咽喉仏《のどぼとけ》を見せながら、はっはっと笑った。
「さすがは賢夫人だけのことはある。ウガったことをおっしゃいますね……そうですよ、漫才をやろうというんです」
「心細い話だわね……この夏、熱海の会談で、腹を立てて帰ったひとでしょう……あなたなんかの誘いだしに乗って、こんなところへやってくるとは思えないね」
「かならず来ます。坂田としては、来ずにいられないわけがあるんだから」
「そんなら、なおさらのことよ。あなたみたいなひとを、むけてよこすなんて、山岸さんも、どうかしているわ……それにし
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