》は其丈《それだけ》にして立上《たちあが》り、彼《かれ》と別《わか》れて郵便局《いうびんきよく》を出《で》た。
丁度《ちやうど》其日《そのひ》の夕方《ゆうがた》、ドクトル、ハヾトフは例《れい》の毛皮《けがは》の外套《ぐわいたう》に、深《ふか》い長靴《ながぐつ》、昨日《きのふ》は何事《なにごと》も無《な》かつたやうな顏《かほ》で、アンドレイ、エヒミチを其宿《そのやど》に訪問《たづ》ねた。
『貴方《あなた》に少々《せう/\》お願《ねがひ》が有《あ》つて出《で》たのですが、何卒《どうぞ》貴方《あなた》は私《わたくし》と一つ立合診察《たちあひしんさつ》を爲《し》ては下《くだ》さらんか、如何《いかゞ》でせう。』と、然《さ》り氣《き》なくハヾトフは云《い》ふ。
アンドレイ、エヒミチはハヾトフが自分《じぶん》を散歩《さんぽ》に誘《さそ》つて氣晴《きばらし》を爲《さ》せやうと云《い》ふのか、或《あるひ》は又《また》自分《じぶん》に那樣仕事《そんなしごと》を授《さづ》けやうと云《い》ふ意《つもり》なのかと考《かんが》へて、左《と》に右《かく》服《ふく》を着換《きか》へて共《とも》に通《とほり》に出《で》たのである。彼《かれ》はハヾトフが昨日《きのふ》の事《こと》は噫《おくび》にも出《だ》さず、且《か》つ氣《き》にも掛《か》けてゐぬやうな樣子《やうす》を見《み》て、心中《しんちゆう》一方《ひとかた》ならず感謝《かんしや》した。這麼非文明的《こんなひぶんめいてき》な人間《にんげん》から、恁《かゝ》る思遣《おもひや》りを受《う》けやうとは、全《まつた》く意外《いぐわい》で有《あ》つたので。
『貴方《あなた》の有仰《おつしや》る病人《びやうにん》は何處《どこ》なのです?』アンドレイ、エヒミチは問《と》ふた。
『病院《びやうゐん》です、もう疾《と》うから貴方《あなた》にも見《み》て頂《いたゞ》き度《たい》と思《おも》つてゐましたのですが……妙《めう》な病人《びやうにん》なのです。』
施《やが》て病院《びやうゐん》の庭《には》に入《い》り、本院《ほんゐん》を一周《ひとまはり》して瘋癲病者《ふうてんびやうしや》の入《い》れられたる別室《べつしつ》に向《むか》つて行《い》つた。ハヾトフは其間《そのあひだ》何故《なにゆゑ》か默《もく》した儘《まゝ》、さツさ[#「さツさ」に傍点]と六|號室《がうし
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