う》さへ烈《はげ》しくなつて來《く》る。と云《い》つて、出《で》て行《い》つて呉《く》れ、默《だま》つてゐて呉《く》れとは彼《かれ》には言《い》はれぬので、凝《じつ》と辛抱《しんばう》してゐる辛《つら》さは一|倍《ばい》である。所《ところ》が仕合《しあはせ》にもミハイル、アウエリヤヌヰチの方《はう》が、此度《こんど》は宿《やど》に引込《ひつこ》んでゐるのが、とうとう退屈《たいくつ》になつて來《き》て、中食後《ちゆうじきご》には散歩《さんぽ》にと出掛《でか》けて行《い》つた。
アンドレイ、エヒミチはやつと[#「やつと」に傍点]一人《ひとり》になつて、長椅子《ながいす》の上《うへ》にのろ[#「のろ」に傍点]/\と落着《おちつ》いて横《よこ》になる。室内《しつない》に自分《じぶん》唯一人《たゞひとり》、と意識《いしき》するのは如何《いか》に愉快《ゆくわい》で有《あ》つたらう。眞實《しんじつ》の幸福《かうふく》は實《じつ》に一人《ひとり》でなければ得《う》べからざるもので有《あ》ると、つく/″\思《おも》ふた。而《さう》して彼《かれ》は此頃《このごろ》見《み》たり、聞《き》いたりした事《こと》を考《かんが》へやうと思《おも》ふたが、如何《どう》したものか猶且《やはり》、ミハイル、アウエリヤヌヰチが頭《あたま》から離《はな》れぬので有《あ》つた。
其《そ》の後《のち》は彼《かれ》は少《すこ》しも外出《ぐわいしゆつ》せず、宿《やど》に計《ばか》り引込《ひつこ》んでゐた。
友《とも》は態々《わざ/\》休暇《きうか》を取《と》つて、恁《か》く自分《じぶん》と共《とも》に出發《しゆつぱつ》したのでは無《な》いか。深《ふか》き友情《いうじやう》によつてゞは無《な》いか、親切《しんせつ》なのでは無《な》いか。然《しか》し實《じつ》に是程《これほど》有難迷惑《ありがためいわく》の事《こと》が又《また》と有《あ》らうか。降參《かうさん》だ、眞平《まつぴら》だ。とは云《い》へ、彼《かれ》に惡意《あくい》が有《あ》るのでは無《な》い。と、ドクトルは更《さら》に又《また》沁々《しみ/″\》と思《おも》ふたので有《あ》つた。
ペテルブルグに行《い》つてからもドクトルは猶且《やはり》同樣《どうやう》、宿《やど》にのみ引籠《ひきこも》つて外《そと》へは出《で》ず、一|日《にち》長椅子《ながいす》
前へ
次へ
全99ページ中75ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
瀬沼 夏葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング