ほ》は不幸《ふかう》なる内心《ないしん》の煩悶《はんもん》と、長日月《ちやうじつげつ》の恐怖《きようふ》とにて、苛責《さいな》まれ拔《ぬ》いた心《こゝろ》を、鏡《かゞみ》に寫《うつ》したやうに現《あら》はしてゐるのに。其廣《そのひろ》い骨張《ほねば》つた顏《かほ》の動《うご》きは、如何《いか》にも變《へん》で病的《びやうてき》で有《あ》つて。然《しか》し心《こゝろ》の苦痛《くつう》にて彼《かれ》の顏《かほ》に印《いん》せられた緻密《ちみつ》な徴候《ちようこう》は、一|見《けん》して智慧《ちゑ》ありさうな、教育《けういく》ありさうな風《ふう》に思《おも》はしめた。而《さう》して其眼《そのめ》には暖《あたゝか》な健全《けんぜん》な輝《かゞやき》がある、彼《かれ》はニキタを除《のぞ》くの外《ほか》は、誰《たれ》に對《たい》しても親切《しんせつ》で、同情《どうじやう》が有《あ》つて、謙遜《けんそん》であつた。同室《どうしつ》で誰《だれ》かゞ釦鈕《ぼたん》を落《おと》したとか匙《さじ》を落《おと》したとか云《い》ふ場合《ばあひ》には、彼《かれ》が先《ま》づ寐臺《ねだい》から起《おき》上《あが》つて、取《と》つて遣《や》る。毎朝《まいあさ》起《おき》ると同室《どうしつ》の者等《ものら》にお早《はや》うと云《い》ひ、晩《ばん》には又《また》お休息《やすみ》なさいと挨拶《あいさつ》もする。
 彼《かれ》の發狂者《はつきやうしや》らしい所《ところ》は、始終《しゞゆう》氣《き》の張《は》つた樣子《やうす》と、變《へん》な眼付《めつき》とをするの外《ほか》に、時折《ときをり》、晩《ばん》になると、着《き》てゐる病院服《びやうゐんふく》の前《まへ》を神經的《しんけいてき》に掻合《かきあ》はせると思《おも》ふと、齒《は》の根《ね》も合《あ》はぬまでに全身《ぜんしん》を顫《ふる》はし、隅《すみ》から隅《すみ》へと急《いそ》いで歩《あゆ》み初《はじ》める、丁度《ちやうど》激《はげ》しい熱病《ねつびやう》にでも俄《にはか》に襲《おそ》はれたやう。と、施《やが》て立留《たちとゞま》つて室内《しつない》の人々《ひと/″\》を※[#「目+旬」、第3水準1−88−80]《みまは》して昂然《かうぜん》として今《いま》にも何《なに》か重大《ぢゆうだい》な事《こと》を云《い》はんとするやうな身構《みがま》へをす
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