うど、買ったばかりの白いシャツに、汚泥《おでい》の飛沫《ひまつ》をひっかけられたように。
石太郎にすまないという気持ちや、石太郎はぎせいに立ってえらいなという心は、ぜんぜん起こらなかった。石太郎が弁解しなかったのは、他人の罪をきて出ようというごとき高潔《こうけつ》な動機からでなく、かれが、歯がゆいほどのぐずだったからにすぎない。
また石太郎は、なんどむちでこづかれたとて、いっこう骨身《ほねみ》にこたえない。まるで日常|茶飯事《さはんじ》のようにこころえているのだから、いささかも、かれにすまないと思う必要はないわけである。
むしろ、石太郎みたいな屁の常習犯がいたために、こんななやみが残ったのだと思うと、かれがうらめしいのである。
しかし、ときが、春吉君の煩悶《はんもん》を解決してくれた。十日もすると、もうほとんど忘れてしまった。
だが春吉君は、それからのち、屁そうどうが教室で起こって、例のとおり石太郎がしかられるとき、けっしていぜんのようにかんたんに、それが石太郎の屁であると信じはしなかった。だれの屁かわからない。そしてみんなが、石だ、石だといっているときに、そっとあたりのもの
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