ぶやいたとしても、春吉君は恥辱《ちじょく》に思うのである。町の人がおどろくほどの健康色、つまり、日焼けしたはだの色というものは、町ふうではなく在郷《ざいごう》ふうだからだ。
ある人びとは、保護色性《ほごしょくせい》の動物のように、じき新しい環境《かんきょう》に同化されてしまう。で、藤井先生も、半年ばかりのあいだに、すっかり同化されてしまった。つまり都会気分がぬけて、いなかじみてしまった。洋服やシャツはあかじみ、ぶしょうひげはよくのびており、ことばなども、すっかり村のことばになってしまった。「なんだあ」とか、「とろくせえ」とか、「こいつがれ」などと、春吉君がそのことばあるがため、じぶんの故郷《こきょう》をきらっているような、げびた方言を、平気で使われるのである。春吉君が、藤井先生も村の人になったということをしみじみ感じたのは、麦のかられたじぶんのある日だった。
午後の二時間め、春吉君たちは、校庭のそれぞれの場所にじんどって、水彩の写生をしていた。小使室のまど下に腰をおろして、学校のげんかんと、空色にぬられた朝礼台と、そのむこうのけし[#「けし」の傍点]のさいているたんざく型の花だんと
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