がないので、
 「面目《めんもく》ないけンが、どうやら、そこへもいったらしいて。ばかにりっぱな座敷があってのう、それが、たたみもふすまも天じょうも、みんな黄色かったてや。そういえば、耳のぴんと立った太夫《たゆう》がひとりござって、胡弓《こきゅう》をじょうずにひいてきかしてくれたてや。じゃ、あれが、きつねだったのかィ」
 「それにしても、どうして、あんな急な山のてっぺんへ、牛車がのぼったもんだろう」
と、村びとはふしぎがりました。
 「なにしろ申しわけねえだな、牛もおれもよっておったで」
と、和太郎さんはあやまるのでした。
 さておしまいに、村びとたちにも、和太郎さんにもどうしてか、わけのわからぬことがひとつあったのです。
 それは、牛車の上にひとつの小さい籠《かご》がのっていて、その中に、花たばと、まるまるふとった男の赤ん坊がはいっていたことです。
 どこでどうして、この籠《かご》をのせられたのか和太郎さんはいくら思い出してみようとしても、むだ骨おりでありました。てんでおぼえがなかったのです。
 「天からさずかったのじゃあるめえか」と亀徳《かめとく》さんがいいました。「和太さんが、日ごろから、子どもがほしい、女房《にょうぼう》はいらんが、といっていたのを天でおききとどけになって、さずけてくれたのじゃねえか」
 和太郎さんは、亀徳さんがいいことをいってくれたので、うれしそうな顔をしました。
 しかし次郎左《じろうざ》ェ門《もん》さんは、
 「そんなりくつにあわぬ話が、いまどきあるもんじゃねえ。子どもには両親がなけりゃならん」
といいました。
 また、芝田《しばた》さんはひげをいじりながら、
 「捨て子じゃろう。一ぺんあとから駐在所へつれてこい。調査書を書いて本署にとどけるから」
といいました。
 その後、和太郎さんは、赤ん坊の親たちがあらわれるのを待っていましたが、ついに、そんな人はあらわれませんでした。
 そこで、その子には和助《わすけ》という名をつけて、じぶんの子にしました。そして、一ぱいきげんのときにはいつもでも、
 「おらが和助は、天からさずかりものだ。おらと牛がよっぱらった晩《ばん》に、天からさずけてくださったのだ」
といいました。すると、りこうもんの次郎左ェ門さんは、
 「そんなりくつにあわん話がいまどきあるもんか。子どもにゃ両親がなきゃならん。よって歩いているうちに天から子どもをさずかるようなことなら、世の中に法律はいらないことになる」
と、むずかしいりくつをいいました。
 けれど、和太郎さんは負けていないで、こういうのでした。
 「世の中は、りくつどおりにゃいかねえよ。いろいろふしぎなことがあるもんさ」
 さて、この天からさずかった子どもの和助君は、それからだんだん大きくなり、小学校では、わたしと同級で、和助君はいつも級長、わたしはいつもびりのほうでしたが、小学校がすむと、和助君は、和太郎さんのあとをついで、りっぱな牛飼いになりました。そして、いまでは和太郎さんは、だいぶんおじいさんになりましたが、まだ元気です。おかあさんとよぼよぼ牛は、一昨年なくなりました。



底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店
   1968(昭和43)年2月20日初版発行
   1996(平成8)年6月20日34版発行
入力:山田芳美
校正:林 幸雄
2001年4月9日公開
青空文庫作成ファイル:
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