いにいって、買うものを忘れてしまい、あてずっぽうに買って帰って、まるでラジオで聞く落語みたいだとわらわれたこともあった。
もとから久助君は、どうかすると見なれた風景や人びとのすがたが、ひどく殺風景《さっぷうけい》にあじけなく見え、そういうもののなかにあって、じぶんのたましいが、ちょうど、いばらの中につっこんだ手のように、いためられるのを感じることがあったが、このごろはいっそうそれが多く、いっそうひどくなった。こんなつまらない、いやなところに、なぜ人間は生まれて、生きなければならぬのかと思って、ぼんやり庭の外の道をながめていることがあった。また、つめたい水にわずか五分ばかりはいっていただけで、病気にかかり死なねばならぬ(久助君には、兵太郎君が死ぬとしか思えなかった)人間というものが、いっそうみじめな、つまらないものに思えるのであった。
三学期のおわりごろ、ついに兵太郎君が死んだということを、久助君は耳にした。べんとうのあと、久助君は教だんのわきで日なたぼっこをしていた。すると、むこうのすみで話しあっていた一団のなかから、
「兵タンが死んだげなぞ」
と、ひとりがいった。
「ほうけ」
と、ほかのものがいった。べつだん、おどろくふうも見えなかった。久助君もおどろかなかった。久助君の心は、おどろくには、くたびれすぎていたのだ。
「うらのわら小屋で死んだまねをしとったら、ほんとに死んじゃったげな」
と、はじめのひとりがいうと、ほかのものたちは明るくわらって、兵太郎君の死んだまねや腹痛《はらいた》のまねのうまかったことを、ひとしきり話しあった。
久助君は、もう聞いていなかった。ああ、とうとうそうなってしまったのかと思った。そっとかた手を、ゆかの上の日なたにはわせてみると、じぶんの手はかさかさして、くたびれていて、悲しげに、みにくく見えた。
三
日ぐれだった。
久助君のからだのなかに、ばくぜんとした悲しみがただよっていた。
昼のなごりの光と、夜の先ぶれのやみとが、地上でうまくとけあわないような、みょうにちぐはぐな感じの、ひとときであった。
久助君のたましいは、長い悲しみの連鎖《れんさ》のつづきを、くたびれはてながら旅人《たびびと》のようにたどっていた。
六月の日ぐれの、びみょうな、そして豊富な物音が戸外にみちていた。それでいてしずかだった。
久助
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