》に晴れています。どこまでも澄《す》んでいます。
 赤とんぼは、窓《まど》に羽《はね》を休めて、書生さんのお話に耳をかたむけています、かあいいおじょうちゃんと同じように。
「それからね、そのとんぼは、怒《おこ》って大|蜘蛛《ぐも》のやつにくいかかりました。くいつかれた大|蜘蛛《ぐも》は、痛《いた》い! 痛《いた》い! 助けてくれってね、大声にさけんだのですよ。すると、出て来たわ、出て来たわ、小さな蜘蛛《くも》が、雲のように出て来ました。けれども、とんぼは、もともと強いんですから、片端《かたはし》から蜘蛛《くも》にくいついて、とうとう一|匹《ぴき》残《のこ》らず殺《ころ》してしまいました。ホッとしてそのとんぼが、自分の姿《すがた》を見ると、これはまあどうでしょう、蜘蛛《くも》の血が、まっかについてるじゃありませんか。さあ大変だって、とんぼは、泉へ飛んで行って、からだを洗《あら》いました。が、赤い血はちっともとれません。で、神様にお願《ねが》いしてみると、お前は、罪《つみ》の無い蜘蛛《くも》をたくさん殺《ころ》したから、そのたたりでそんなになったんだと、叱《しか》られてしまいました。そのとんぼが今の赤とんぼなんですよ。だから、赤とんぼは良くないとんぼです。」
 書生《しょせい》さんのお話は終わりました。
 私《わたし》は、そんな酷《むご》い事をしたおぼえはないがと、赤とんぼが、首をひねって考えましたとき、おじょうちゃんが大声でさけびました。
「嘘《うそ》だ嘘《うそ》だ! 山田のお話は、みんな嘘《うそ》だよ。あんなかあいらしい赤とんぼが、そんな酷《むご》い事をするなんて、蜘蛛《くも》の赤血だなんて――みんな嘘《うそ》だよ。」
 赤とんぼは、真実《ほんとう》にうれしく思いました。
 例の書生さんは、顔をあかくして行ってしまいました。
 窓《まど》から離《はな》れて、赤とんぼは、おじょうちゃんの肩《かた》につかまりました。
「まア! あたしの赤とんぼ! かあいい赤とんぼ!」
 おじょうちゃんの瞳《ひとみ》は、黒く澄《す》んでいました。
 暑《あつ》かった夏は、いつの間にかすぎさってしまいました。
 朝顔《あさがお》は、垣根《かきね》にまきついたまま、しおれました。
 鈴虫《すずむし》が、涼《すず》しい声でなくようになりました。
 今日も、赤とんぼは、おじょうちゃんに会いにやって来ました。
 赤とんぼは、ちょっとびっくりしました。それは、いつも開いている窓《まど》が、皆《みな》しまっているからです。
 どうしたのかしら? と、赤とんぼが考えたとき、玄関《げんかん》から誰《だれ》か跳《と》び出して来ました。
 おじょうちゃんです。あのかあいいおじょうちゃんです。
 けれども、今日のおじょうちゃんは、悲しい顔つきでした。そして、この別荘《べっそう》へはじめて来たときかぶってた、赤いリボンの帽子《ぼうし》を着け、きれいな服《ふく》を着ていました。
 赤とんぼはいつものように飛んで行って、おじょうちゃんの肩《かた》にとまりました。
「あたしの赤とんぼ……かあいい赤とんぼ……あたし、東京へ帰るのよ、もうお別れよ。」
 おじょうちゃんは、小さい細い声で泣《な》くように言いました。
 赤とんぼは悲しくなりました。自分もおじょうちゃんといっしょに東京へ行きたいなと思いました。
 そのとき、おじょうちゃんのお母さんと、赤とんぼにいたずらをした書生《しょせい》さんが、出てまいりました。
「ではまいりましょう。」
 皆《みな》、歩き出しました。
 赤とんぼは、やがておじょうちゃんの肩《かた》を離《はな》れて、垣根《かきね》の竹の先にうつりました。
「あたしの赤とんぼよ、さようなら――」
 かあいいおじょうちゃんは、なんべんもふりかえっていいました。
 けど、とうとう、皆《みな》の姿《すがた》は見えなくなってしまったのです。
 もう、これからは、この家は空家《あきや》になるのかな――赤とんぼは、しずかに首をかたむけました。

 淋《さび》しい秋の夕方など、赤とんぼは、尾花《おばな》の穂先《ほさき》にとまって、あのかあいいおじょうちゃんを思い出しています。



底本:「ごんぎつね 新美南吉童話作品集1」てのり文庫、大日本図書
   1988(昭和63)年7月8日第1刷発行
親本:「校定 新美南吉全集」大日本図書
入力:もりみつじゅんじ
校正:鈴木厚司
2003年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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