彼等の頭にそれが信仰となつて這入るか。彼等はさうかしらと思ふだらう。いくら信じようと思つても、「さうかな」の信仰より深入りは出來ない。彼等には經驗がないからだ。つまり自分の信仰を掴んでゐないからだ。自分で掴んだ信仰! それは爆彈のやうに強い。
9
五箇年の間どう歩いたか。それは云ひ得ない。たゞ無意に過した五箇年の最後の瞬間に、はつきりと物を見、掴み得た事だ。それは海から歸る日である。自分は嬉しくてたまらない。自分はこれから、海岸の人々に向つて叫ばう。
――おゝい! 獲れた獲れた! 小い鰡が三四匹! けれど皆んなぴち/\とはちきれさうに生きてゐる、と。
眞珠貝を拾つて來たかの樣に双手をひろげて叫ばう。そして明日はまた海に行く船出の日だ。
底本:「校定 新美南吉全集第二巻」大日本図書
1980(昭和55)年6月30日初版第1刷発行
1985(昭和60)年5月20日3刷
初出:「柊陵 第一二号」
1931(昭6)年3月3日
入力:高松理恵美
校正:川向直樹
2004年10月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
新美 南吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング