、これがあったんだなァ」
といって、おとうさんにきいてみると、それは、いぜんたばこをのむ人が持っていた、火ざらというものだそうである。そのさらの上に、まだ火のついているすいがらをのせておき、つぎのたばこにすいつけるための道具なのだそうである。
「そいでも、ここにこんなへそ[#「へそ」に傍点]みたいなものがあるのは、どういうわけだン?」
と、久助君は、あまりのばかばかしさに、すこしはらをたてていった。そのへそ[#「へそ」に傍点]には小さいあながあって、そこにひもを通したにすぎないと、おとうさんは教えてくれたので、もう久助君は、なにもいうことがなかった。まんまと、太郎左衛門に一ぱいくわされたのである。
それにしても、なぜ太郎左衛門は、あんなうそをつくのだろう。なんというわけのわからぬやつだろう。
よく日、久助君は、教室のまどにもたれてぼんやりしているうそつきの太郎左衛門の顔を、かれに気づかれぬよう、こちらの人かげから、まじまじとながめていた。そして、さらにきみょうなことを発見したのである。
それは、太郎左衛門の目は、左右、大きさがちがうということである。右の目は大きい。左は小さい。そして、そのうえおかしいことに、大きい目は、美しい、なごやかな、てんしんらんまんな心をのぞかせているのに、小さい目は、いんけんで、ひねくれていて、狡猾《こうかつ》なまたたきをするのである。
こいつはへんだと、久助君が一生けんめい見ていると、さらに、耳も左右大きさと形がちがい、鼻でさえも、左の小鼻と右の小鼻はちがっているので、すこしゆがんで見えることがわかった。
久助君は考えた。――太郎左衛門は、ひとりの人間じゃなくて、ふたりの人間が半分ずつよりあってできているのじゃあるまいか。いぜん、久助君は、ねんどで人形を製造するのを見たことがある。まず、ふたつの型によって、人形は、半分ずつつくられ、それからふたつの半分がうまく合わさって、ひとつの人形になるのであった。神さまがわれわれ人間をつくり出すのも、あれと同じ方法でするのだろう。そして、太郎左衛門はなにかのまちがいで、大きさのちがう、うまく合わない半分ずつが合わさってできたのかもしれない。だから、太郎左衛門の中には、ふたりの人間がはいっているのだ。
――それなら、太郎左衛門が平気でうそをいったり、なにを考えてるのかわけがわからなかったりするのは、当然のことだと、久助君は思った。
六
ついに、みんなが太郎左衛門のうそのため、ひどいめにあわされるときがきた。それは、五月のすえのよく晴れた日曜日の午後のことであった。
なにしろ場合がわるかった。みんなが――というのは、徳一君、加市君、兵太郎君、久助君の四人だが――たいくつでこまっていたときなのだ。
麦畑は黄色になりかけ、遠くからかえるの声が、村の中まで流れていた。道は紙のように白く光を反射し、人はめったに通らなかった。
みんなは、この世があまり平凡なのにうんざりしていた。どうしてここには、小説のなかのように出来事がおこらないのだろう。
久助君たちは、なにか冒険みたいなことがしたいのであった。あるいは、英雄のような行為《こうい》をして、人びとに強烈な感動をあたえたいのであった。
そう思っているところへ、その道角《みちかど》から、太郎左衛門がひょっこりとすがたをあらわしたのである。そしてかれは、まっすぐみんなのところへくると、目をかがやかせていった。
「みんな知ってる? こんど、大きなくじら[#「くじら」に傍点]が、新舞子《しんまいこ》で見世物になっているとさ。なんでも、十メートルほどもあるんだって」
なにかできごとがあればいいと思っていたやさきだから、みんなは、太郎左衛門のことばだったけれど、すぐ信じてしまった。そしてまた、これはまんざらうそでもなさそうだった。なぜなら、新舞子の海岸には、そのくじらがいないとしても、よく見世物がきていることは、夏、海水浴にいったものなら、だれでも知っている。
見にいこうということに、一ぺんで話がきまった。新舞子といえば、知多半島のあちら側の海岸なので、峠《とうげ》をひとつ越していく道はかなり遠い。十二、三キロはあるだろう。しかし、みんなのからだの中には、力がうずうずしていた。道は、遠ければ遠いほどよかったのだ。
太郎左衛門も加えて一行は、すぐその場から出発した。家へそのことをいってこようなどと思うものは、ひとりもなかった。なにしろ、からだはつばめのようにかるかった。つばめのように飛んでいって、つばめのように飛んで帰れると思っていたのである。
とんだり、かけたり、あるいは、「帰りがくたびれるぞ」などと、かしこそうにおたがいを制しあって、しばらくは、正常歩《せいじょうほ》で歩いたりして、進んでいった。
野には、あざやかな緑の上に、白い野ばらの花がさいていた。そこを通ると、みつばちの羽音《はおと》がしていた。白っぽい松の芽が、におうばかりそろいのびているのも、見ていった。
半田池をすぎ、長い峠道をのぼりつくしたころから、みんなは、沈黙がちになってきた。そして、もしだれかがしゃべっていると、それがうるさくて、はらだたしくなるのであった。知らないうちに、みんなのからだに、つかれがひそみこんだのだ。
だんだん、みんなは、つかれのため頭のはたらきがにぶってきた。そして、あたりの光が弱ったような気がした。じっさい、日もだいぶん西にかたむいていたのだが、それでも、もうひきかえそうというものは、だれもなかった。まるで命令をうけているもののように、先へ進んでいった。
そして大野の町をすぎ、めざす新舞子《しんまいこ》の海岸についたのは、まさに、太陽が西の海にぼっしようとしている日ぐれであった。
五人はくたびれて、みにくくなって、海岸に足をなげ出した。そして、ぼんやり海の方を見ていた。
くじらはいなかった。また、太郎左衛門のうそだった!
しかしみんなは、もう、うそであろうがうそでなかろうが、そんなことは問題ではなかった。たとい、くじらがそこにいたとしても、みんなはもう、見ようとしなかったろう。
つかれのために、にぶってしまったみんなの頭のなかに、ただひとつ、こういう思いがあった。
「とんだことになってしまった。これから、どうして帰るのか」
くたくたになって、一歩も動けなくなって、はじめて、こう気づくのは、分別《ふんべつ》がたりないやりかたである。じぶんたちが、まだ分別のたりない子どもであることを、みんなはしみじみ感じた。
とつぜん、「わッ」と、だれかなきだした。森医院の徳一君である。わんぱくものでけんかの強い徳一君が、まっさきになきだしたのだ。すると、そのまねをするように兵太郎君が「わッ」と、同じ調子でなきだした。久助君も、そのなき声を聞いているとなきたくなってきたので、「うふうふン」と、へんななきだしかただったが、はじめた。つづいて加市君が、ひゅっ[#「ひゅっ」に傍点]といきをすいこんで、「ふえーん」とうまくなきだした。
みんなは声をそろえてないた。するとみんなは、じぶんたちのなき声の大きいのにびっくりして、じぶんたちはとりかえしのつかぬことをしてしまったと、あらためて痛切に感じるのであった。
そして、四人はしばらくないていたが、太郎左衛門は、ひろった貝がらで、足もとの砂の上にすじをひいているばかりで、なきださないのであった。
ないていない人のそばでないているのは、ぐあいのわるいものである。久助君はなきながら、ちょいちょい太郎左衛門の方を見て、太郎左衛門もいっしょになけばよいのにと、思った。こいつはなんというへんな、わけのわからんやつだろうと、またいつもの感を深くしたのである。
日がまったくぼっして、世界は青くなった。最初に、久助君のなみだがきれたので、なきやんだ。すると、加市君、兵太郎君、徳一君という、なきだしとはぎゃくの順で、せみが鳴きやむようになきやんでいった。
そのとき、太郎左衛門がこういった。
「ぼくの親せきが大野にあるからね、そこへいこう。そして電車で送ってもらおう」
どんな小さな希望にでもすがりつきたいときだったので、みんなはすぐ立ちあがった。しかし、それをいったのが、ほかならぬ太郎左衛門であることを思うと、みんなはまた、力がぬけるのをおぼえたのである。もしこれが、だれかほかのものがいったのなら、どんなにみんなは勇気をふるいおこしたことだろう。
やがて、大野の町にはいったとき、みんなは不安でたまらなくなったので、
「ほんとけ、太郎左衛門?」
と、なんどもきいた。そのたびに太郎左衛門は、ほんとうだよ、とこたえるのであったが、いくらそんなこたえを得ても、みんなは信じることはできなかった。
久助君も、太郎左衛門をもはや信じなかった。――こいつは、わけのわからぬやつなのだ、みんなとはものの考えかたがまるでちがう、別の人間なのだと、思いながら、みんなにたちまじっている太郎左衛門の横顔を、するどく見ていた。すると、太郎左衛門の顔は、そっくり、きつねのように見えるのであった。
町の中央あたりまでくると、太郎左衛門は、
「ううんと、ここだったけな」
などとひとりごとしながら、あっちの細道をのぞいたり、こっちの路地《ろじ》にはいったりした。それを見ると、ほかの四人は、ますますたよりなさを感じはじめた。また、太郎左衛門のうそなのだ。いよいよ絶望なのだ。
しかし、まもなく太郎左衛門は、ひとつの路地からかけだしてくると、
「見つかったから、こいよ、こいよ」
と、みんなを招いたのである。
みんなの顔に、暗くてよくは見えなくっても、さァっと生気の流れたのがわかった。足がぼうのようにつかれているのも忘れて、みんなはそっちへ走った。
いちばんあとからついていきながら、久助君は、だが待てよと、心の中でいった。あまり有頂天《うちょうてん》になると、幸福ににげられるという気がしたからであった。なにしろ、あいては太郎左衛門なのだから、真《ま》にうけることはできないはずだ。
そう考えると、またこんどもうそのように、久助君には思えるのであった。
そして久助君は、時計をならべた明るい小さい店のところにくるまで、太郎左衛門をうたがっていた。しかし、そこが、ほんとうに太郎左衛門の親せきの家だった。
太郎左衛門からわけを聞いておどろいたおばさんが、
「まあ、あんたたちは……まあまあ!」
と、あきれてみんなを見わたしたとき、久助君は、救われたと、思った。すると、きゅうに足から力がぬけて、へたへたとしきいの上にすわってしまったのであった。
それから五人は、時計屋のおじさんにつれられて、電車で岩滑《やなべ》まで帰ってきたのであったが、電車の中では、おたがいにからだをすりよせているばかりで、ひとこともものをいわなかった。やすらかさと、つかれが、からだも心も領していて、なにも考えたくなく、なにもいいたくなかったのである。
うそつきの太郎左衛門も、こんどだけはうそをいわなかった、と、久助君は、とこ[#「とこ」に傍点]にはいったときはじめて思った。死ぬか生きるかというどたん場では、あいつもうそをいわなかった。そうしてみれば、太郎左衛門も、けっしてわけのわからぬやつではなかったのである[#「太郎左衛門も」と「けっしてわけのわからぬやつではなかったのである」に傍点]。
人間というものは、ふだんどんなに考えかたがちがっているわけのわからないやつでも、最後のぎりぎりのところでは、だれも同じ考えかたなのだ。つまり、人間はその根もとのところでは、みんなよくわかりあうのだということが、久助君にはわかったのである。すると久助君は、ひどくやすらかな心持ちになって、耳の底にのこっている波の音を聞きながら、すっとねむってしまった。
底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店
1968(昭和43)年2月20日初版発行
1974(昭和49)年1月30日12版発行
※本作品中には、身体的・精神的
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