てみると、尖端《さき》に泥が乾《かわ》き着いていた、足許に気がつくと柱の根元三寸程の所塀に密接して、新しく土を埋めたらしく柔らかくなっている竹片を紙にくるんで懐中《ポケット》へ入れると台所の方へ歩いていった。
襷《たすき》がけ忙《せわ》しく働いていた下女は二人とも、春日の姿を見ると叮嚀にお辞儀をした、その一人の方へ近づくと優しく、
「貴方でしたか昨夜《ゆうべ》お嬢様のお伴をなすったのは……飛んだ御心配ですね、お忙しいのに気の毒ですが少しお尋ねします、昨夜最初ここへ帰ったときは何時でしたか」
「十時三十五分には少し前でした」
「裏の納屋の方は誰れがいつもお掃除をせられますか」
「毎朝お嬢様が運動だと仰有ってお掃きなさいますので、妾《わたし》達はあそこの掃除をしたことはございません」
「お嬢様のお召物を買うのはいつも主に何処です、それから当家の墓地は何処ですか」
「横町の大村屋《おおむらや》で御座います、お墓は○△寺です」
「よく気のつく愉快な方であったと思いますが、前は気難しい沈だ方ではなかったですか」
「よく御存じですこと、この春までは仰言るとおり陰気なお方で、お変りになったのには妾も不思議に思っているので御座いますよ」
「よく判りました、有がとう御邪魔しましたね」
会釈《えしゃく》して春日は旧《もと》の客間へ還った、善兵衛は苦り切って居た。併しまだ少し既往について直聴して置く必要があった。
「この度の結婚の話の外に以前に何処からか、申込がありましたか」
「エエありましたとも沢山ありました、この前のは東京に開業して居る年|老《とっ》た医者が、四月頃来て田舎の甥に嫁が欲しい、少々の財産もあって両親《ふたおや》には早く別れて兄弟二人きりだとかで、本人は文学士だと云ってましたがこれは余り話にも、気乗がしなかったので謝絶《ことわり》しました」
春日は更に一年間の、家庭用領収簿の閲覧を要求した、善兵衛は忌々し気に立上り帳簿を取って来て見せたが、春日の悠々として迫らず一頁毎に眼を通してゆく態度に、堪え忍んだ肝癪《かんしゃく》を破裂させた、顔を蒼くして唸《うめ》くようにいった。
「止めてもらいましょうッ、娘が疵物になるかならぬか危急の際ですぞ、貴方は他人じゃから痛痒を感ぜぬか知らぬが、頼まれた上は何故□□へ行って下さらん、愚図々々詰らんことを調べて何になりますかっ、余《あん
前へ
次へ
全10ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
山下 利三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング