たる事を聞き、かかる暴政《ぼうせい》の下に在《あり》ては何時《いつ》いかなる嫌疑《けんぎ》をうけて首を斬《き》られんも知れずと思い、その時|筐中《きょうちゅう》に秘《ひ》し置《おき》たる書類《しょるい》は大抵《たいてい》焼捨《やきすて》ました、今日と成《な》りては惜《お》しき事をしましたと談次《だんじ》、先生|遽《にわ》かに坐《ざ》を起《たち》て椽《えん》の方に出《いで》らる。その挙止《きょし》活溌《かっぱつ》にして少しも病後《びょうご》疲労《ひろう》の体《てい》見えざれば、予《よ》、心の内に先生の健康《けんこう》全く旧《きゅう》に復《ふく》したりと竊《ひそ》かに喜びたり。
 夫人|云《い》わるるよう、この頃|用便《ようべん》が至《いたっ》て近くなりまして、いつもあの通りで困《こま》りますと。やがて先生|座《ざ》に復《ふく》され、予、近日の飲食《いんしょく》御起居《ごききょ》如何《いかん》と問えば、先生、左右《さゆう》の手を両《りょう》の袖《そで》のうちに入れ、御覧《ごらん》の通り衣《きもの》はこの通り何んでも構《かま》いませぬ、食物は魚《さかな》并《ならび》に肉類《にくるい》は一切用いず、蕎麦《そば》もこの頃は止《や》めました、粥《かゆ》と野菜《やさい》少し許《ばか》り、牛乳《ぎゅうにゅう》二合ほどつとめて呑《の》みます、すべて営養上《えいようじょう》の嗜好《しこう》はありませんと。この日、先生|頗《すこぶ》る心《こころ》能《よ》げに喜色《きしょく》眉宇《びう》に溢《あふ》れ、言語も至《いたっ》て明晰《めいせき》にして爽快《そうかい》なりき。
 談《だん》、刻《こく》を移して、予《よ》、暇《いとま》を告げて去らんとすれば、先生|猶《なお》しばしと引留《ひきとめ》られしが、やがて玄関《げんかん》まで送り出られたるぞ、豈《あに》知《し》らんや、これ一生《いっしょう》の永訣《えいけつ》ならんとは。予が辞去《じきょ》の後、先生例の散歩《さんぽ》を試《こころ》みられ、黄昏《こうこん》帰邸《きてい》、初夜《しょや》寝《しん》に就《つか》れんとする際|発病《はつびょう》、終《つい》に起《た》たれず。哀哉《かなしいかな》。
 嗚呼《ああ》、先生は我国の聖人《せいじん》なり。その碩徳《せきとく》偉業《いぎょう》、宇宙に炳琅《へいろう》として内外幾多の新聞|皆《みな》口を極《きわ》め
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