ものがある。その間にも一休みしようと道端の草へべつたりと坐つて、ハー/\と苦しさうな息を吐く老人がある。さうして行列の進行は一時止る。
達吉の手につかまつて辛うじて歩いてゐたおしんが、唇まで青くして急にバタリと地べたへ倒れたのである。眼を白くし、身體中を細かく顫はしてゐる。膝の上までほこりが眞黒にひつついた兩脚をしやつきりとふんぞつてゐる。それを見るとみんなむせかへるやうな氣持になる。
『おしんさんよオ……おしんさんよオ……』女達が傍で叫ぶ。
『それ、顏へ傘を差しかけてやれよ。』さう言ふものがある。
『醫者どんを呼ばつて來ざなるめえ。』
『こんな場所へ醫者どんが來るもんかよ。』
『ソレ、水を、水を飮ませろ。』
『オ、オツ。雷神樣からいたゞいた水を飮ませてなるもんかよ。』
『それだつて仕樣があんめえ。』
『仕樣があんめえつて、そんなことがなるもんか。』
『人の命を助ける水だもの、何が惡いか。』
『いけねえ/\、一たらしだつて外のことに使つたら今までの願が臺なしになつちまふ――いくら人の命を助けるだつて、そいつア俺が使はせねえ。』
『ぐづ/\してる間に、はやく村へ連れて行けよ。ソラお前は頭だ、お前はそつちの手……』
『そんなことで運べるもんか、誰か、達さんがいい、お前おぶつて行け。』
『おしんさんよ、おしんさんよ、氣、しつかり持てよ。』
死んだやうな行列はそこで急に活氣づき、周圍にほこりのけむりを一層舞ひ上げながら、村の森へ入つて行く。
四
村の入口の樹蔭に殘つた四五人は、傘をつぼめ、麥藁帽を脱ぎ、肌を脱いで、草の上に脚をなげ出し、大きな聲で言ひ合ふ。
『俺がいふこと間違つてるかよ。雨乞ひにいたゞいて來た水が、人の命を助ける譯はあんめえ。萬が一、あの水を飮んでおしんの命が助かつたつても、そのために五日もやつた雨乞ひがペケになつたらどうするんだい。雨が降らなければ村中……村中どころか、日本中の人の命が助かるめえ。おしん一人が命のためにそんなことは出來る譯がねえよ。』
『そらさうだが、雨の降る樣子はどこにもあんめえ。俺等が死ぬまで願をかけたつて、降らねえ時は降らねえんだ。そんならいつそ……』
『馬鹿こけ、そんな心掛けだからこんな日でりがつゞくだ。三峯山から三日三晩歩き通しでいたゞいて來た水でも、一たらし外のことに使つたらもう御利益はねえだ。そんな大事な水を、あんな娘《あま》の――父親のわからねえ餓鬼を二人もなしたやうな娘のために使つて堪るもんか。』
『また誰かの餓鬼を孕んでんだとよ。』
『さうか、あの娘《あま》が、また!』
『どうしたら子供をおろせるかつて、泣きながら俺らおふくろに相談したちうよ。』
『どうだオイ、そんな娘《あま》が可哀相かよ。』
『お前はまたひどくおしんがこと惡く言ふで、肘鐵砲でも喰つたと見《め》えら。』
『ぶんなぐるぞ。』
『アハヽヽヽ。』
『こんだア、誰の餓鬼だんべ。』
『何でも茂右衞門どんの伜だちうよ。』
『あの野郎かえ、太い野郎だ。四五年前にやあの茂右衞門親爺が、多助どんの嚊をぬすんでよ、それでたつた酒三升で濟したちうだ。地主だ、總代だなんどと威張つてやがつて、太《ふて》え親子だ。雨乞ひにだつて一昨日《おとてえ》から出やしねでねえか。』
『二年や三年飢饉がつゞいたつて、あすこぢや平氣だかんな。銀行にしこたま預けてあんだから。』
『くそ、そんな野郎は村からおん出しちまへ。』
『おん出しちまつて、田地をみんなで分けつこしちまうんだな。』
『そらいゝや。俺が眞先きに、一番いゝ所をぶん取つてやらア。』
『さうはいかねえ、さうなつたら籤引きだ。』
『籤引は面白くねえ。角力で一番強いもんだ。』
『角力はいけねえ、駈けつこだ。』
『ナニかけつこなんぞ駄目だ。俵かつぎで一番力持ちが勝だ。』
かうして彼等の話は果しなくつゞく。頭の上では蝉がヂン/\啼きしきる。
五
中天に焦げついたやうな太陽もいつか傾いた。眞赤に溶けた光を投げながらヂリ/\と田圃の彼方の雜木林の上に落ちて行くと、大空一面に狐色の夕映えが漲り、明日もまた旱天が間違ひなく來ることを思はせる。枯れそめて所々黄ばんで來た稻田の上にも、乾からびた葉を縮めて何の艷もなくなつた畑作の上にも、夕靄がホーツと浮ぶころ、村の森では、今日もよく日が照り、よく乾いたことを喜ぶやうに、蜩が一せいに、カナ/\/\と啼く。この森で一しきり啼くと、それに答へるやうに向うの森でまた一せいに啼く。
やがて梟が闇を吐き出すやうにホーツ、ホーツと啼き出して、村は森とした夜に鎖される。蠶で夜遲くまで起きている家では、庭に縁臺を出し、傍に蚊やりを焚いてそこへ寢ころんでゐる。前の籔で、くつわ虫がガシヤ/\/\と乾いた音を立て始める。その音が燒けた石を
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